がん医療の将来

私が24歳の時、48歳の母が、乳がんでこの世を去った。

私が医学部に進んだのは、母親の闘病がきっかけだった。乳がんという病気に振り回される母親の姿、そしてそうした母親をどうして支えたらいいのかわからずに、さらに振り回される家族の姿が、自分の進路を決めかねていた私を、医学部進学へいざなったのだ。私が医学部に合格したのは、母の死から2年後、だから母親は私が医者になったことを知らない。

当時のがん医療は、凄まじいものだった。

手術、化学療法、放射線治療などは少しずつ進みつつあったが、今ほどの進歩もなく、何より緩和医療が全く未整備だった。

がんなのだから痛いのは当たり前という時代だったのだ。

がんが腰椎に転移して、激烈な腰痛に苦しみながらも、まだ成長期だった私や妹たちのために、台所に立つ母親の後姿を思い出す。

 

その後30年、がん医療には予防や早期発見、治療、緩和で大幅な進歩が見られた。

今でもがんは撲滅されたわけではないが、がんがあっても、ある程度思ったように人生を全うできる時代が見え始めた。

 

これまで当院では、がんの在宅医療に力を入れてきた。

痛みや呼吸苦など様々な症状をやわらげ、家族の介護負担を軽減し、在宅療養の意義を深めようと私たちは、必死で努力してきた。

 

これまで在宅でも使える薬や治療方法も大幅に進歩した。

おかげで、激烈な痛みに苦しむ患者さんは大幅に減らすことができた。また化学療法の進歩により、腫瘍の進行を大幅に遅らせている患者さんも増えてきた。介護保険制度の整備などで、がんの患者さんにも介護や生活サポートが行われるようになってきた。

ここでは詳しく述べないが、私たちの今の主要な関心事は、がんによる衰弱(悪液質)を防ぐことになりつつある。

がんによる死には、もちろんがんの増大自体による臓器障害もあるが、それ以上にがんが怖いのは、がんが出す様々な物質により全身が衰弱することである。

当院では、向山雄人先生を中心に、ビタミンや漢方薬、ホルモン剤などをうまく駆使することで、がんによる衰弱を防いだり、遅らせることはできないかということを模索が始まっている。

 

いずれ、がんは致死的疾患から慢性疾患になるかもしれない。つまりがんがあっても、がんとうまく共存し、進行も痛みも衰弱もなく、穏やかに過ごし続けることができるようになるかもしれないと夢見るのだ。

 

このように、がんの予防や治療、緩和は大幅に進歩しつつある今、最後に母親が言った言葉を思い出す。

 

「どうして、おまえは入院した時、私に一緒に寝ていてほしいといわなかったの?」

 

私が小学校4年生のとき3日間だったが、一度だけ入院したことがある。

その時私は母親に付き添ってくれとは言わなかった。

別に付き添ってほしいとも思わなかった。

 

しかし、母親はそれを申し訳なさそうに思い出していた。

日に日に衰弱する自分の姿を自覚した母親にとって、もう自宅に帰ることはかなわないことを知っていたのだろう。

せめて自宅には帰れないが、少しでも一緒にいてほしいという気持ちが、そういう言葉に現れたのだろう。

 

予防も治療も緩和も進んだ今でも変わらないものがある。

病者を孤独にするのは、実は病気ではない。

周りの関わりなのだ。

縁結びとしてのホームページ

今日の外来に、少し遠方から来てくれた患者さんがいた。

遠方といっても初台だから、それこそ電車でも訳はない。しかし多少足こちが弱っている母親をまだ乳飲み子を抱えた娘が連れてくるのだから、電車しんどい。だからわざわざタクシーを使ってきたのだという。

何の気なしに、当院はなんでお知りになりました。と私が訪ねると、娘が、

「ホームページです。」と答えた。

 

母親が認知症じゃないかと心配になって・・・明日は検診に行くけど、その前に高齢者の診療に詳しいところで、見てほしかったから・・というのが来院の理由だった。

 

しかし連れてこられた母親は困惑気味だ。母親にとっては不本意な受診だったようだ。

娘が言い訳する。「無理やり私が連れてきたんです。」

一人暮らしの母親はもともと不精な性格。最近それがさらに講じて料理もしなければ、片付けもしなくなった。約束を忘れることもある。という。

 

「どんな生活をしているのですか?朝は何時におきますか?」私は母親に事細かに生活の具合を尋ねた。私はなるべく母親に自分で生活を話してもらいたかったのだ。その理由は、一つには自分の生活をどのように管理できているのかを知るため、もう一つは母親の気持ちがほぐれてくれるのを期待したからだ。

 

そして気持ちが十分ほぐれたところで、それではご高齢の方にいつも質問させていただく質問用紙がありますから、それに従って質問させていただいてもよろしいですか?と切り出すと、快くうなづいてくれた。

 

「これは記憶や検査のチェックも兼ねているので、少し難しい質問もありますが、できなくても気にしないでください。」私は母親の気分が変わらないように配慮しながら、MMSE検査をしてもらった。

 

結果は28点、30点満点だから、ほとんど満点だ。つまりこの検査だけでは認知症とは全く言えない。

 

「すごいですね。こんなにできる人はほとんどいませんよ。」私の言葉に、親子ともに顔をほころばす。

母親が認知症ではないと言ってほしかったから連れてきた。と娘は私に来院の意図を打ち明ける。

 

確かにMMSEでは認知症とは言えない。しかし行動が少し変化していることは確かだった。これからの生活の仕方や注意点だけをお話しして、診療は終了した。

 

当院がホームページをリニューアルしたのは昨日のことだった。それがさっそくこのような縁につながった。

私もびっくりしたが、もともとこのような段階のご高齢の方の生活不安、その後の療養不安に寄り添うことが当院の目標だ。

適切な縁結びができた新しいホームページの在り方に感謝した。

勉強会の意味

今日わたしは、「東京女子医科大学在宅医療研究会」に出席した。

毎年2回ずつ春と秋に、開かれているこの会は、今回で第44回になる。つまり22年前から続いている研究会なのである。驚くべきことである。

昨今は巷でも、在宅医療に関する勉強会は事欠かなくなってきた。しかしこれだけ歴史のある勉強会は他にはないだろう。いかに早くから東京女子医大が在宅医療を視野に入れてきたのかがわかる。

今から20年前、私が開業したのは曙橋という女子医大の御膝元の地だった。

当時女子医大はすでに退院支援としての在宅医療に力を入れ始めており、たまたまその近くで在宅医療専門で開業した私は、女子医大の退院支援型の在宅医療を手伝わせていただくことが多かった。

だから、私の在宅医療観は女子医大に育まれた退院支援型在宅医療だったといっても過言ではない。

もちろんこの間に、この研究会の担い手たちは変わったが、今でも綿々と女子医大の在宅医療を育んでいる人たちがいる。

それが今回のテーマ「女子医大が目指す在宅医療のカタチ」というテーマにもつながっている。昨今は地域包括ケアという地域ぐるみの高齢者支援体制が整えられつつあるが、実際大学病院の高度医療の患者さんが地域で生活するには、それだけでは済まないことも多い。だからこのようなテーマで新たに原点回帰を目指そうとしていると考えたのは私だけだろうか?

そんな思いを巡らせながら、私は久しぶりに歴史のあるこの会に出席した。

 

研究会のプログラムは2部構成になっている。

第一部が「喘息患者の日常管理支援」、「呼吸器疾患における緩和ケアの実際」と題されてさすがに大学病院。それぞれなかなか聞けないような呼吸器内科の専門医、緩和医療の専門家のミニレクチャーが為にになる。

また後半はシンポジウムということで、「在宅医療で苦渋する呼吸器疾患に対しての新しいアプローチ」と題して、鍼灸やアロマ、ハーブなどの利用の仕方、さらに「呼吸器疾患における在宅医療」と題して、実際に呼吸器の在宅患者さんを受け入れた在宅医の奮闘ぶりが披露された。

勉強になった。

忙しい現場に振り回されていると、さらにあえて勉強会に出ることに億劫になりがちだ。

しかし忙しければ忙しいほど、自分を見つめなおさないと、日々の事象に振り回され、方向性を見失っていくことになりかねない。

 

だから忙しい時や疲れているときにこそ、あえて勉強会に出る意味がある。

知識や技術の拡充は明日への肥やしになるだろう。医療に対する思いやアプローチの仕方を知ることは、自分への励ましになる。

 

忙しい時、あえて勉強会に行こう!

疲れた自分のために・・・

新HPが出来上がりました。

みなさん。
新しいHPにようこそ。
今後新しいクリニックの試みなどをわかりやすく紹介していければと思っております。ぜひよろしくお願いいたします。

新宿ヒロクリニック 英 裕雄