コーチングとしてのかかりつけ医療

ある人によると、コーチングは、相手の内側から答えを引き出し、 ティーチングは相手に答えを教えることだそうだ。

 

かかりつけ医療に重要なのは、ティーチングではなく、コーチングのように思える。

 

人が医療的体験から、学ぶことは多い。そのときの経験から学ぶことを手伝う。これがかかりつけ医療の根幹かもしれない。

 

単に治る。治らないなどの医療的事実を聞いたり、語ったりするのではなく、その時にどう感じたのか?どうしたいと思ったのか?そしてよりよく生きるための学びがあったのかどうか?

 

こうした対話こそがかかりつけ医療なのかもしれない。

私たちが目指すかかりつけ医療

今晩、私はある雑誌の取材を受けることになっている。

今、在宅医療の重要性がたかまり、在宅医療専門医療機関が認められる時代を迎えたというのに、なぜ私たちが在宅医療専門をやめて外来診療をするようになったのか、不思議だというのが取材の意図らしい。

確かに、はたから見ると私たちの行動は不可解なのかもしれない。もうすでに20年以上在宅医療に専従し、多くの在宅医療者を輩出してきた当院が、在宅専門を捨てて、なぜあえて外来を始めたのか知りたいというのだ。しかも当院は、高度重症在宅患者を専従的に受け入れる在宅専門医療機関だったからだ。

しかし私は在宅医療もかかりつけ医療の一部だと思っている。つまり、外来や検診など多岐にわたるかかりつけ医業務、さらに小児から成人、高齢者や超高齢者などを支える医療の中で、在宅医療は重要ではあるが一つの形態に過ぎないと思っている。

これまでは在宅医療を行う医療機関が少なく、在宅看取りなどに対応できる医療機関が少なかったから、私たちは在宅医療に専従する必要があった。しかし昨今は在宅医療を行う医療機関も増えてきた。在宅での看取りも増えてきている。昔はがんの患者さんなど重症度の高い患者さんのご紹介が多くの地域からあったが、少しずつ遠方からの依頼は少なくなって行った。もちろんこれからも私たちは求められる高度在宅医療を提供し続け、またリードし続けたい。しかしそれは求められるかかりつけ医療全般を行いながら、高度かかりつけ医療を目指す中での話である。

しかし私たちがこれまで在宅医療で学んだことは大きい。また高度在宅医療を行いつつ整備してきたクリニックの陣容はかかりつけ医療を行うのにとても大切であるとも感じている。今後は私たちなりのかかりつけ医療の在り方を目指す必要がある。

私たちが目指すかかりつけ医療とは何だろうか?

地域住民の生活を支えるという役割こそがかかりつけ医療の根幹だと私たちは思っている。「生活を支える。」一言でいえばたやすいが、実に大変なことである。元気な方ならあまり難しくはないのだが、虚弱な方のかかりつけ医療は一人ではできない。多職種協働が望まれる。

生活において必要な医療的対応は24時間365日必要だろう。生活において必要な医療は内科、緩和ケア科、整形外科、皮膚科、小児科、精神科など多岐にわたるだろう。地域での様々な疾患の治療能力を伸ばすと同時に、リハビリや看護、栄養指導なども必要だろう。これらをすべて地域の専門医療機関同士で連携をとることで対応するということもいいだろう。一方で、一医療機関でそれを行う大規模かかりつけ医療機関もあっていいはずだと考える。

大規模医療機関だといってもすべてのかかりつけ医療ができるわけではない。病院との連携、他の地域医療機関との連携は何より大事だ。さらに介護サービスや生活支援の方々との連動は不可欠だ。今後も私たちは私たちでできることを伸ばしつつ、周囲と協働しながら、非常に虚弱化した方でも生活が全うできる地域になるための努力を行っていく。

それこそが私たちの使命だと思っている。

いかに地域の支え、ソリューションとなるべきか?

昨日、私は二つの事例に遭遇した。

一つ目は先月末から訪問診療を開始した患者さんのことだ。少し当院からは遠方に居住されているが、退院直後からADL低下が著明で、寝たきりになっており、同居の奥様も高齢のため、介護困難になっているという方だった。こんなに大変ならば、24時間濃密に在宅での医療対応をしてくれる医療機関が必要だろうとケアマネさんから党員を紹介された。

幸いその後の、身体調整や、生活上の工夫や介護機器の導入、リハビリなどの複合的効果で、ADLも改善し、約一か月で、ほぼ室内での生活は自立レベルになった。そして今後は近くの医療機関のお世話になりたいという。それならば、紹介状を記載しましょうと、今後の在宅診療のお願いをもともとのかかりつけ医の先生にすることとなったという事例である。

またもう一つは、当院の近くで、在宅酸素を使っている肺がんの患者さんだ。これまで何度かは外来にいらしてくださったが、本日は通院できない。往診してほしいといわれて、急遽往診した。往診した先は、駅前のきれいなビルだが、中は寮のようなものだった。10畳足らずの1部屋に4つの2段ベットが置かれている。つまり一部屋8人が生活しているのだ。ビルの中はそういう部屋で埋め尽くされていた。居室内での喫煙は許されていないらしいのだが、廊下や共有スペースでは、たくさんの人たちが喫煙している。その中で在宅酸素を使った肺がんの高齢者が生活しているという事実を知って私は愕然とした。

彼は言う。「もう息苦しいので、通院はできない。何度も救急車で入院させてもらおうと、病院に足を運んだが、別に治療がないからと言われて帰されてきた。」

社会的虚弱の中で病気を持ちながら生活することの困難さを彼は言う。

もちろん病院も病気は治せても、社会的虚弱は治せない。だから在宅医療をという。しかし、一方でまた私もそこでの在宅医療をそのまま組み立てることはできないと感じた事例だった。

:::::::::::

どちらも私にとっては在宅医療の在り方を考えなおす大きな課題と思われる。

在宅医療が、高齢者が円滑な地域社会生活を営むためにあることは、論を待たない。しかし漫然と在宅医療をしていれば、皆が地域社会生活を営める時代ではないのかもしれない。一つ目の事例は、機能を明確にして、目標設定をして、期間を限って在宅対応することの必要性を。二つ目の事例は、地域ぐるみのソリューション能力を高めることの中で、社会的虚弱性改善能力を高めるための在宅医療の必要性を、感じた次第である。

 

特殊かもしれないが、こんな二つのことで、新しい時代の幕開けがすぐそこまで来ているように思えてならないのだ。

転身

昨日今日とこの二日間は、第三回全国在宅療養支援診療所連絡会大会だった。全国から700名以上の参加者があり、大変な大盛会だった。

私は、あるシンポジウムの座長を務めさせていただいた。またその間、様々な仲間との邂逅を楽しませていただいた。

このような大会や学会は、実に出会いと邂逅と学びの場なのだ。

今回のシンポジウムでは、座長の特権で、ぜいたくな演者の方々に、ふんだんにお話ししていただいた。みなさん。先駆的事例を包み隠さず、ご紹介してくださった。また多くの聴衆にも恵まれ、私を含めて、多くの方々が、明日からの現場に活かせるインスピレーションが得られたのではないかとも感じている。

ありがたいことである。

しかし、この会で私が非常に驚いたことがある。

ある厚労省の局長まで勤められ方が、退官された後、初期研修医を経て、今あるクリニックで勤務されているという。しかも在宅診療もされているということを、在宅医療の先達から聞いたことである。

もとより局長とは、医系技官の最高のポストである。そのポストを退いた後は、引く手あまただったに違いない。

しかし彼は医療の第一線の現場を選択した。

しかも最も泥臭い人間的現場で仕事をしているということを聞いて、私は仰天すると同時に敬服した。

 

そこに官僚であり、医療者である彼の自負や痛切な思いを感じた。また一方で第二の人生があるという生き方に、うらやましさも感じた。

 

定年とは、良くも悪くも仕事に区切りをつけられるということなのだ。

定年のない現場の一開業医のつぶやきである。