いかに地域の支え、ソリューションとなるべきか?

昨日、私は二つの事例に遭遇した。

一つ目は先月末から訪問診療を開始した患者さんのことだ。少し当院からは遠方に居住されているが、退院直後からADL低下が著明で、寝たきりになっており、同居の奥様も高齢のため、介護困難になっているという方だった。こんなに大変ならば、24時間濃密に在宅での医療対応をしてくれる医療機関が必要だろうとケアマネさんから党員を紹介された。

幸いその後の、身体調整や、生活上の工夫や介護機器の導入、リハビリなどの複合的効果で、ADLも改善し、約一か月で、ほぼ室内での生活は自立レベルになった。そして今後は近くの医療機関のお世話になりたいという。それならば、紹介状を記載しましょうと、今後の在宅診療のお願いをもともとのかかりつけ医の先生にすることとなったという事例である。

またもう一つは、当院の近くで、在宅酸素を使っている肺がんの患者さんだ。これまで何度かは外来にいらしてくださったが、本日は通院できない。往診してほしいといわれて、急遽往診した。往診した先は、駅前のきれいなビルだが、中は寮のようなものだった。10畳足らずの1部屋に4つの2段ベットが置かれている。つまり一部屋8人が生活しているのだ。ビルの中はそういう部屋で埋め尽くされていた。居室内での喫煙は許されていないらしいのだが、廊下や共有スペースでは、たくさんの人たちが喫煙している。その中で在宅酸素を使った肺がんの高齢者が生活しているという事実を知って私は愕然とした。

彼は言う。「もう息苦しいので、通院はできない。何度も救急車で入院させてもらおうと、病院に足を運んだが、別に治療がないからと言われて帰されてきた。」

社会的虚弱の中で病気を持ちながら生活することの困難さを彼は言う。

もちろん病院も病気は治せても、社会的虚弱は治せない。だから在宅医療をという。しかし、一方でまた私もそこでの在宅医療をそのまま組み立てることはできないと感じた事例だった。

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どちらも私にとっては在宅医療の在り方を考えなおす大きな課題と思われる。

在宅医療が、高齢者が円滑な地域社会生活を営むためにあることは、論を待たない。しかし漫然と在宅医療をしていれば、皆が地域社会生活を営める時代ではないのかもしれない。一つ目の事例は、機能を明確にして、目標設定をして、期間を限って在宅対応することの必要性を。二つ目の事例は、地域ぐるみのソリューション能力を高めることの中で、社会的虚弱性改善能力を高めるための在宅医療の必要性を、感じた次第である。

 

特殊かもしれないが、こんな二つのことで、新しい時代の幕開けがすぐそこまで来ているように思えてならないのだ。