隠れ認知症

認知症=記銘力障害と思っている人がいる。

本来の認知症は物事の認知の仕方を誤ってしまうという意味であり、そこに記憶が関係するかどうかは、実は二次的な問題であるといえる。

今日の初診の患者さん。

普段からしっかりしているが、夜寝ぼけるることがあるという。

さらに時々あらぬものが見えたりする。

もちろん記憶力などに問題はない。むしろ年齢以上にしっかりされている。そして自分でもおかしいと思っている。

認知症・・・記銘力低下の有無だけではない。このように記銘力(物事を覚える力)が低下しない認知症もあるのだ。いずれにしても注意深く、それぞれの人の言動に注意していく必要があるといえる。

ブログ

昨日、お目にかかった患者さんのご家族。

このブログを読んでくれているという。

大変ありがたいことである。

以前紹介したクロワッサンの「親をみとる」というムック本もわざわざ取り寄せて周囲の仲間と読んで参考にしているという。

「台湾の記事も面白かった。小児医療の勉強もしているんですね。」と述懐してくれた。

このブログの反響を聞いたのは、初めてだったので、びっくりするやらありがたいやらで、お恥ずかしいことだが、私はどぎまぎしてしまった。

普段自分が感じたことを正直に書いているブログである。それなのに何か参考にしていただくことがあれば、何より幸である。

 

私たちの課題

私たちの外来には本来ならば訪問診療に切り替えるべき患者さんが少なくない。

外来では検査などがしやすいので、疾病管理、予防的対応がしやすい。一方で訪問では様々な生活障害に対するきめ細やかなサポートが可能になる。

ご高齢の方にとって、元気なうちは外来にいらしていただき、疾病管理や病気の増悪予防を行い。虚弱化が進み、生活障害が進みつつあるときには、訪問診療で生活、介護一体型の医療的サポートが適切となる。それらがうまく移行できれば円滑な社会生活を営むことができるようになるのだ。しかしこの外来から在宅への移行が意外と難しいのだ。

「通院するのも大変だろうから、訪問に切り替えましょうか?」と促しても、「まだ、何とか通院できますし、むしろ病院に来ることを生きがいにしていますから・・・」とやんわりと断られることが多い。「わざわざ先生に来てもらうのは気が引ける。」からというように、遠慮する気持ちも加わっているかもしれない。

一人暮らしの高齢者の方が、一生懸命、杖や歩行器を使って頑張って通院してくださるのは、ありがたいが、通院途中の事故が心配になる。ましてや外来で見ていても、少しずつ生活機能低下が進行している様子を見ているのは忍びない。訪問診療に切り替えて、こまめに生活対応する中で様々な疾病予防や生活医療的対応ができることを実感してほしいと思うことも多いのだ。

そういう方には、「いつでも往診するから、困ったときには遠慮なく電話してね。」と声をかけることが多い。

ところが実は、“困ったら往診”というのが、本当は曲者で、往診には医療的改善能力が低い。往診が得意とするのは、症状緩和や療養方針構築であり、症状変化を起こさせないようにするために往診するというのが大切なのだ。だから本当は“困ったら往診”ではなく、“困ったことが起こらないようにするのが往診”なのだ。

実際長い間在宅医療を受けていた患者さんやご家族からは「先生にこまめに往診してもらっていたから困らなかった。」と言っていただくことが多いのだ。

これまで私たちは在宅診療を専門にしていたので、あまり気にならなかったが、外来を始めてみると、このような高齢者の方々が非常に多いことに驚くと同時に、どのように対応したらいいのかいつも頭を悩ませてしまう。

地域医療機関の責務として、様々な方々の地域社会生活を円滑に営んでいただくために、どのようにサポートするかが課題だと感じている。予防、検診、外来診療、往診、在宅診療と当院が提供する医療は、すべて多くの方々の地域社会生活サポートのためといっても過言ではない。しかしこれらがうまく組み合わさる必要がある。そのためにはまだまだ越えなければならない課題がある。そう感じる今日この頃である。