薬だけもらっています。

訪問診療を開始してみると、「これまで近くのお医者さんに薬だけもらいに行っていました。」と言われることがある。

本人が通院できなくなったため、家族だけが受診して、継続薬だけもらっていたというのだ。

1度ならず、2度、3度・・・そしてついには年余の単位で薬だけもらっているという場合もある。

こういう事態を何とかできないのだろうか?虚弱化しているから通院できていない。でもだからと言って訪問診療を受けたくもない。

そんな中途半端な状態は、患者さんにとっても、医師にとっても歯がゆいものだろう。

何とかその間を取り持つ仕事が早めにできたらと思う。

みんなが主役になれる職場こそ

この4月から大幅に体制が変わった。

外来では皮膚科、整形外科の診療日の拡充ほかに小児科の専門診療が開始された。来週からは土曜日の日中と金曜日の夜間外来が開始される。

在宅も、長年総合診療の研さんを積まれてきた鈴木先生の入職をはじめ、訪問リハビリを担当してくださるPTの名古屋さん、OTの岩本さんが入職された。これまで以上に手厚い体制になっていると自負している。

またこれまで運行を担当してきてくれたアシスタントによる送迎サービスも始まっている。

先日お目にかかった地域の関係者の方からは「まるで総合病院のようですね。」とおっしゃっていただいた。確かにおそらく常勤、非常勤のスタッフを集めると100名近いスタッフが集まって、これからの地域医療の新しいページを開こうとしてくれているのだ。総合病院並みのスタッフ数かもしれない。

しかし本当に大切なのは、これからだと思う。

なぜなら、体制ができたとしても、それは舞台ができただけだからだ。この舞台を使って、それぞれのスタッフが理想の医療を作ってくれることこそが望まれる。

受けたいかかりつけ医療とは何なのか?スタッフみんなでそれぞれの立場から、答えを出し合う。

そして、一人頑張るのではなく、みんなで伸ばしあい、サポートしあうことこそが何より大切だからだ。

 

 

救急車依存症?

社会生活不安から、胸痛や呼吸苦など様々な身体症状が出てきてしまう方がいる。

特に夜中や夜明けごろに、不安が高じることが多いらしい。そうしたとき居ても立ってもいられずに救急車を呼んで、病院受診をする。病院受診時には様々な検査をしてもらうが、結局は悪いところはないということで返される。こういうことを1度ならず2度、3度と何度も繰り返す。ひどい場合には一晩2~3回救急車に乗ったという方もいる。

こうなると、病院も大変だが、救急隊も大変になる。苦しがっている人をほっとくわけにいかないので、その都度きちんと対応するのだが、問題は解決しない。

救急車の出動費は1回あたり45000円もするという。もちろん本人には請求されないが、税金で動いていることを考えなければならない。そればかりではなく、本来重症の患者さんに振り分けられるべき病院や救急車など救急医療の資源が消費されているという側面もある。

しかしそのような方にとっても、どうしようもない事情がある。救急車を呼ばないというほかの選択肢がないという事情である。家族がいたり、施設でのケアを受けている人ならともかく、一人暮らしでもともと身体状況も虚弱化している。さらに不安発作などがあるとき、どうしても救急車を呼んでしまう。というのだ。

こうしたとき、在宅医療が有効だ。当院ではこれまで何度かこのような方々の在宅医療を行ってきた。まず救急車を呼ぶ前に、当院に電話ください。そして必要に応じて往診して往診の結果で病院受診が必要なら、当院から病院受診を手配します。とお話しする。当院が間に入り、いきなり救急車を呼ぶことがないようにするのだ。

もちろんそうしたとき、しばらくは当院の電話が鳴りっぱなしになる。夜の往診も増加する。しかし訪問診療などで身体状況や生活状況が落ち着き、デイサービスの利用や適切な介護サービス利用などから少しずつ社会性が向上してくると、次第にその回数は減ってくる。そしていつしかご自分なりの社会生活を営まれるようになるのだ。

在宅医療は単に家での療養を支持するだけではない。本人やご家族の自律性を高める医療でもあるのだ。

在宅医学教育

先日、ある官僚の方と久々にお目にかかった。

その方は、もともとは厚労省の医系技官で、在宅医療推進室の室長を務められていたが、今は文科省に移られて、医学教育担当の審議官になられている。

約一年以上ぶりの邂逅だった。しかも短時間のことだったが、彼は今後の意気込みを語ってくれた。

「これまで医学部の教育は大学の中での研修だけだったが、これからは地域での教育を充実させます。」と抱負を語る目の輝きがまぶしかった。さらに彼は言葉をつなぐ「ぜひ先生たちのところもよろしくお願いします。」と。

「がんばります。」と答えながら、私は大変な時代になったと感じざるを得なかった。学生実習は、研修医実習よりも難しいのだ。まだまだ地域も支え切れていないのに、医学教育も担わなけれならない時代になろうとしているのだ。

今現在も東大をはじめとして、様々な大学の学生実習も受け入れている。それもなんとなくなのに、これからはもっと本格的になるという。そこで、今後担うべき地域での医学教育について考えざるを得なくなった。

従来の医学教育は、医学を教えて、その適応としての医療の在り方を教える形が多かった。しかしこれから地域に求められている医学教育はそれでいいのだろうか?

そんなことを考えるうちに私は自分の娘のことを思い出した。

娘はいまシンガポールに留学している。その娘と話をしているとしばしば教育の仕方の違いに驚かされる。今娘は歴史でロシア革命について勉強しているという。どんな勉強しているの?という私の質問に、「ロシア革命当時のロシア皇帝に、当時の市民になったつもりで手紙を書くという宿題をしている。」というのだ。「それが勉強?」という言葉が出かかるが、慌てての飲み込む。その手紙を書くという行為の意味を考えると当時の市民の置かれた状況に対する洞察力や想像力、さらには文章力などが求められるだろう。日本の教育では、何年にどこでどういうことが起こったということをどれだけ覚えているかということが重視されるだろう。しかしそれとはあまりにも違う教育を彼女は受けているのだ。

そンなことを思い出しているうちに、これからの地域医療における医学教育について思いをはせた。

そうだ、医学的知識の適応としての医療を教える教育ではなく、地域生活者の立場になって感じ、悩み、考えるというこそが地域医療にふさわしい医学教育なのだと。そんな医学教育をすることが今後の地域医療における医学教育になるべきだと。