在宅医学教育

先日、ある官僚の方と久々にお目にかかった。

その方は、もともとは厚労省の医系技官で、在宅医療推進室の室長を務められていたが、今は文科省に移られて、医学教育担当の審議官になられている。

約一年以上ぶりの邂逅だった。しかも短時間のことだったが、彼は今後の意気込みを語ってくれた。

「これまで医学部の教育は大学の中での研修だけだったが、これからは地域での教育を充実させます。」と抱負を語る目の輝きがまぶしかった。さらに彼は言葉をつなぐ「ぜひ先生たちのところもよろしくお願いします。」と。

「がんばります。」と答えながら、私は大変な時代になったと感じざるを得なかった。学生実習は、研修医実習よりも難しいのだ。まだまだ地域も支え切れていないのに、医学教育も担わなけれならない時代になろうとしているのだ。

今現在も東大をはじめとして、様々な大学の学生実習も受け入れている。それもなんとなくなのに、これからはもっと本格的になるという。そこで、今後担うべき地域での医学教育について考えざるを得なくなった。

従来の医学教育は、医学を教えて、その適応としての医療の在り方を教える形が多かった。しかしこれから地域に求められている医学教育はそれでいいのだろうか?

そんなことを考えるうちに私は自分の娘のことを思い出した。

娘はいまシンガポールに留学している。その娘と話をしているとしばしば教育の仕方の違いに驚かされる。今娘は歴史でロシア革命について勉強しているという。どんな勉強しているの?という私の質問に、「ロシア革命当時のロシア皇帝に、当時の市民になったつもりで手紙を書くという宿題をしている。」というのだ。「それが勉強?」という言葉が出かかるが、慌てての飲み込む。その手紙を書くという行為の意味を考えると当時の市民の置かれた状況に対する洞察力や想像力、さらには文章力などが求められるだろう。日本の教育では、何年にどこでどういうことが起こったということをどれだけ覚えているかということが重視されるだろう。しかしそれとはあまりにも違う教育を彼女は受けているのだ。

そンなことを思い出しているうちに、これからの地域医療における医学教育について思いをはせた。

そうだ、医学的知識の適応としての医療を教える教育ではなく、地域生活者の立場になって感じ、悩み、考えるというこそが地域医療にふさわしい医学教育なのだと。そんな医学教育をすることが今後の地域医療における医学教育になるべきだと。