時代の闇をどう照らすか?

昨晩当院では、東京在宅医療クリニックの会が開かれた。

不定期な開催だが、えびす英(ヒデ)クリニックの松尾先生が中心になり、35回も開かれてきた会である。

昨晩も20医療機関の院長先生たちが集まった。

皆実績のある医療機関だが、今時代は急速に動いている。その中で、それぞれの医療機関がそれぞれの現場を支えようと必死に努力していることがうかがえた。

もちろん孤軍奮闘しているだけではなく、仲間内で支えあったり、慰めあったりしているし、他の先駆的事例を学ぶことも重要だ。

時代が進むとき、そこには隙間が暗闇のように生じる。

大きく全体を照らす明かりもあれば、スポットライトのように一部分に焦点を当てようとする明かりもある。間接照明のように、あえてぼんやりと浮きだたせる明かりもある。

それぞれの明かりはどれも、必要な明かりだ。

自分だけでは照らせない時代の闇を、照らしてくれる明かりがほかにたくさんあることをありがたく思えた。

そんな夜だった。

 

ドライな取り決め

 

父親の発熱は続いている。

もともと滑舌が悪く、嚥下も不良だった。そういう父親が今まで肺炎を起こさなかったことは、幸運だったといえる。

さすがにそうは幸運も続かなくなってきた。だから点滴と抗生剤治療が今日も続く。

これまでは、それほど医療的対応は必要なかったが、これからはそれも多くなるだろう。

 

父親が寝ている病室で、家族が集まり会議を開く。

今後の医療方針・介護方針・財産の方針について、みんなで相談する。

 

「お前たちに任せる。済まない。」かすれ声で父親がいう。

 

準備のいいことにすでに父親は遺言書を数年前に用意していた。

集まった全員の前で遺言書、財産などの確認をし、今後の方針を明確にする。

 

親族がもめないようにしながら、父親の思う通りの療養を全うさせること。それが私にとっては大事なことだった。

 

残念ながら。介護の過程で、親族間のわだかまりが高じることがある。

みんな親に対して、それぞれの気持ちがあるから、それぞれの思いで対応する。でもその対応はみな同じではない。だからお互いになぜ私がしているようにしてくれないのか?そういう亀裂が高じてくると財産の分配などでも、不信が広がり、最後は絶縁状態になってしまうということがあり得るのだ。

 

フェアーにして、皆がそれぞれの事情に応じて関わっても、もめないようにするためのルールを作ることが先決だった。

 

父親は一人暮らしを最後まで続けるが、かかわった全員がどういうかかわりをしたのか、明確にし、孫、子といえどもある程度介護費用を支払うこと。

 

父親の会計は独立し、だれからも持ち出しにせず、金銭管理を明確にすること。

 

発熱している父親の横で、ドライだが、今後のきちんとした関わりを決めておくこととしたのだ。

ドライな取り決めだが、そういうことが大切だとみんなわかってくれた。

また明日・・・

大たい骨頸部骨折で2か月間入院していた父親が退院したのは、火曜日のことだった。

退院して間もない土曜日、主治医を務めてくれている友人の医師から連絡が入る。

今度は、父親が、39度の発熱で身動きできなくなっている。というのだ。

 

これまで転倒による打撲などはひっきりなしだったが、発熱など全身状態にかかわる変化は全くなかった。しかも退院直後のことだ、

 

「虚弱化の連鎖が始まった?」そんな予感をもって、私は、実家に向かった。

 

実家では、ベットに横たわった父親が一人で高熱にうなされて寝ていた。

友人の配慮で点滴されていたし、抗生剤や解熱剤も使われており、適切に医療対応されている。

 

父親が弱弱しく言う。「トイレに行きたい。」すぐ横に置いてあるポータブルトイレに誘導しようとするが、高熱の父親は全く動けない。

父親も最後は断念したようだった。「もういい。」

 

その後が大変だった。

 

夜の街を薬局を探しまわった。30年前まだでは住んでいた町とはいえ、今はすっかり知らない街になっている。この時間のどこに薬局が開いているのか、まったくわからない。

尿意で苦しんでいる父親を思うと、自然と急ぎ足になる。結局は駅前のスーパーでリハビリパンツを買い求めることができた。

そして汗だくになりながら、身動きできない父親に穿かせて私の今日の役割は終わった。

 

「また明日朝来るから・・・」熱でうなされている父親に私は言った。

ソウル大学

当院は日本有数のコリアンタウンに位置する。韓国料理屋さんが軒を並べ、休日には韓流ファンでごった返している。

 

そんな当院に、ご縁があってソウル大学家庭看護チームの看護師さんが見学に来てくれた。

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韓国でも有数の大病院であるソウル大学病院。しかもそこの家庭看護(訪問看護)チームということで、私たちもとても関心が強かった。

 

いろいろな意見交換をする中で、韓国と日本の違いが浮き彫りになる。

韓国も日本も人口の高齢化が著しい。

韓国も日本も医療保険のほかに介護保険が整備されており、65歳以上では双方の保険がカバーしている。(これは同じ)

韓国では一般医という総合診療医が少なくないが、往診はほとんど行われていない。

韓国の家庭看護は、かなりの医療行為(点滴の管理や、気管カニューレ交換など)を行っているが、処方や診療行為は医師が行っており、看取りや急変対応には限界がある。

結果、韓国では在宅での看取りや急変対応には限界が大きく、病院依存型になっているというのだ。

 

韓国にとっては看取りや往診を日本に、日本にとっては一般医や認定看護などのあり方を韓国に、それぞれ習うことでよりよい地域医療ができるのではと思った次第である。