自立支援としてのかかりつけ医療

大久保には様々な方が居住している。外国人も、お金のない人も、生活が破たんしている人も・・私はよくスタッフと話をしている。ここは将来の日本の縮図になるかもしれないと・・・

そして外来では日々、大久保なりのドラマが繰り広げられている。

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一昨日に受診した48歳の男性は糖尿病・・・だが、これまで当院には不規則な通院しか、されていなかった。生活もめちゃくちゃならば、薬も勝手に中断するなど、決して聞き分けのいい患者さんではない。しかしいつも笑顔で悪びれずに私の外来に通ってきていた。

それでも一昨日来た時には、これまでと様子が違って、妙にしおらしい。理由を聞いてみると、数日前から右足が腫れていたい。歩くことも困難だといって困り果てていた。

糖尿病の患者さんは様々な感染に弱いことが知られている。この方は血糖値も悪いし、足に感染を起こしたことも容易に想像できた。

ここでキチンと治療しておかないと、取り返しがつかなくなる。早速入院治療を勧める私に彼が答える。「この2か月仕事してなくて、所持金も底をついています。ここに来るのもやっとなんです。ここでの支払いもできるかどうかわからないのに、入院なんかしたら、いくらかかるかわかりません。入院はしません。」ときっぱり言う。

しかし私もここは負けられないから、説得する。「採血では血糖値が非常に高くなっています。至急入院が必要な状況です。お金のことは何とか病院と相談しようと思います。」と、そして早速当院のソーシャルワーカーにそういう事情でも入院できる医療機関を探してもらった。幸い事情を理解してくれた近くの病院が受けてくれた。何とか頼み込んで、即日入院の手配ができたが、今度は病院まで行くことができないという。救急車はあまりに大げさだし、タクシーに乗ることもできない。そこで出番になったのは、当院の送迎サービスである。当院では以前から往診車や車いすの乗れる車を使って数多く方の通院介助をしている。ほとんどは当院への通院介助だが、今回はその車を使って病院までの送迎をすることとなったのだ。昨日のことである。

今日、入院した彼を見舞いに行くと、少し足が軽くなったようで、足を引きずりながら、病院の中を歩いていた。「病院のソーシャルワーカーが協力してくれて、生活保護などの申請もしてくれることになりました。」と言って感謝された。

 

今後彼は病気の治療に専念して、まず体の調整をすることになるだろう。その間福祉のお世話になって生活の調整、そして社会性の向上を目指すことになる。まだまだ若い彼だから、再び社会に出るようになることも必ずできるだろう。その間を支える医療。それが自立支援型の医療ということになる。

 

このようにかかりつけ医療は生活・身体・社会性など様々な虚弱性が合併している人を支える医療である。ときにはソーシャルワークが何より大事になり、送迎サービスなどが広がりを持たせることができる。今回の彼の入院には多数のスタッフが尽力してくれた。外来担当の医師・看護師・事務スタッフ・ソーシャルワーカー・そして送迎のアシスタントたちだ。

数多くの虚弱者が居住する大久保で私たちが複合的なかかりつけ医療を模索するには理由がある。

このように私たちは多職種共同でかかりつけ医療機関を運営している。そして私たちが目指していることは一つ、どんなに虚弱であっても、適切な対応や支えを構築すると、その人なりの人生を再出発できるし、その人なりの自立性を高めることができるはずだということである。

 

かかりつけ医療を支えるのは、そういう理念なのである。

よりよく生きるための知見

今日私は、お茶の水の日本大学病院で開かれた「下部尿路機能障害講習会」に出席した。本講習会は、日本老年泌尿器科学会、日本泌尿器科学会、日本排尿機能学会が共催で、病院入院中の持続導尿の患者さんの排尿自立を図るためのチーム(医師、看護師、理学療法士)の養成のための講習会でもある。したがって、参加者はほとんど病院勤務の医師だったので、やや場違いな感じもあったが、私も外来、在宅の現場で、普段から高齢者の頻尿や尿閉、失禁などの診療に従事している立場であり、しかも最近では、自分自身も前立腺肥大や失禁、夜間頻尿などを自覚することも多くなったという個人的事情もあり、まとまった講義を伺うまたとない機会だったので、急きょ日本老年泌尿器科学会に入会し、本講習会に参加させてもらった。

 

一言で排尿の問題といっても、非常に複雑な病態生理がかかわっており、たとえ泌尿器科医といえども、評価、治療、そしてケアなどにはなかなか難渋することが多いという。

加齢によるものや、薬物によるもの、疾患によるものなど、さまざまな理由が加わり複合化しているし、排尿、畜尿には、さまざまな中枢、神経、筋肉などが関与しているために、障害部位の特定も困難である。しかし少しずつ、さまざまな検査、薬物療法、ケアの仕方などの知見も広がってきている

 

また在宅では、尿道カテーテルが留置されたままになっている高齢者が少なくない。その多くは入院時に尿閉もしくは排尿障害が見つかり留置されたものだが、抜去のタイミングを失い、そのまま帰宅している人たちだ。今回の研修会では、主に入院の患者さんのバルーン抜去の仕方が中心だったが、在宅でのバルーン抜去についても、明確な指針をいただけた。

現在の尿道留置カテーテル使用中の人でも、排尿自立ができるようになる人や、間欠導尿、夜間持続導尿などを併用することで、完全留置から離脱できる人が少なくないというのだ。

 

また外来で数多く相談を受ける失禁や頻尿についての問題に対するアプローチも明確になった。年を重ねていくと、必ず遭遇する問題に、下部尿路機能障害がある。

その障害とうまく付き合うためには、どうしたらいいのか、という知見にあふれる講習会であった。

 

下部尿路機能障害とは、在宅、外来患者さん・・そして自分、それぞれがよりよく生きるために大切な知見が詰まっているようである。

 

排尿の問題を持っている方は、私にこっそりとご相談いただきたい。

私にできることは少しかもしれないが、改善できる方法が必ずあるという実感を持てた講習会である。

マニュアル、ガイドラインなどに対する思い

昨日私は東京都庁で開かれた「第15回東京都輸血療法研究会」に出席した。

輸血療法を取り巻く最新の話題に触れながら、昨年作成された小規模医療機関における輸血マニュアルについて、在宅医療側からの検証的意見を述べさせていただいた。

 

実際小規模医療機関での輸血の仕方は、さまざまなバリエーションがあるようだ。それは医療機関の事情、患者さんの事情など様々な事情の違いによるものであり、すべてガイドラインやマニュアル通りにはいっていないのが実情である。

 

こうした専門家が集まり、英知を結集してできたガイドラインを前に、感じたことを改めて整理してみた。

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元来在宅医療は、医学的厳密性を目指すのではなく、患者さん、ご家族の療養生活の円滑性や療養生活の意義の向上を目指すものである。したがって、たとえば貧血が全く見られないにもかかわらず、輸血をしてもらわないと生活が不安で、不安で仕方ないという人に対しては、輸血を前向きに検討しなければならないこともあるし、高度な貧血があったとしても寝たきりで、貧血による苦痛がないところで、あえて輸血のために針を刺したりすることを躊躇することもある。つまり輸血の適応は、貧血の有無が指標だけではなく、むしろその人にとってのいかなる療養の正当性を求めるか、こそが輸血の適応の判断基準となるのだ。

 

当院には、入れ代わり立ち代わりだが、現在30名以上の東大医学部の学生が実習に来ている。彼らに決まって言うことがある。

「君たちは東大の医療が一番だと思っているかもしれないが、医療の正当性はその場その場によって異なる。たとえば特別養護老人ホームに入所している人に東大の医療を適応すれば、大きな迷惑になるだろう。一方で東大に入院している患者さんに特別養護老人ホームの医療を適応すれば、ふざけるなと怒られるに違いない。医療者は、それぞれの現場や、相手によって、TPOをわきまえることが重要である。」ということである。

 

例えば燕尾服は、イギリスの宮殿での正装かもしれないが、ハワイやアフリカではむしろ暑苦しいだけの、無理な正装で、むしろ滑稽でさえあるように、ガイドラインもある現場には適正であっても、ほかの現場に常に適正であるとは言えないのだ。

 

もしガイドラインが、医学的厳密性を求めるものだとしたら、在宅医療の現場ではいつまでたっても使い物にならない。個々の患者の療養や人生の正当性を目指すためのガイドラインでなければ、在宅医療の現場では使い物にならないのである。

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私はガイドラインが不要だとは思わない。しかしガイドラインだけで医療ができるとも思っていない。医療現場の違い、患者さんの状況による違い、それらを加味したガイドライづくりこそがいま望まれていると感じている。

10万人

私は今日朝から一日、東京で開かれた、「看護師特定行為研修指導者講習会」に出席した。

従来、看護師の業務は保助看法に位置付けられ、「療養の世話」と「診療の補助」に大別されている。このうち、「療養の世話」は、食事や排せつ、入浴の介助などの生活の支援であるが、もう一つの「診療の補助」というのが曲者だ。これこそが看護師の独自性であり大きな役割であるにもかかわらず、どこからどこまでが看護師が行うべき「診療の補助」であり、どこからが医師だけが行うべき医療なのか明確ではなかったからだ。

 

一切の静脈注射は看護師がしないという医療現場もある。また一方で僻地など医師が非常に不足しているところでは、看護師がかなりの医療行為を任されているという実態がある。しかし今後、高齢化社会を迎えて、医療と生活、介護の融合がますます重要となり、看護の役割を伸ばさなければならないときに、野放図であってはいけない。きちんと明確にして伸ばしていく必要がある。

 

その時に比較的高度な医行為を特定行為というものを明確にして、その担い手としていわゆる特定看護師を設けていこうというのだ。

もちろん特定看護師には、きちんとした研修が義務付けられる。その研修の指導者を養成するというのが、今日の講習会の目的だ。

 

厚生労働省看護課長から今後の抱負を聞いた。

高齢化社会を支えるチーム医療のかなめとして、特定看護師を位置づけ、その特定看護師を2025年までに10万人に増やすというのだ。

 

それが、どれだけ途方もない計画であることか、もちろん課長もわかっているだろう。

本日の聴衆である指導者候補(ほとんどは病院の院長や看護師長など管理職だったが)の皆でさえ、誰もにわかに信じられないといった表情だった。

しかしこのままでは高齢化社会を支えられないというのっぴきならない事情がある。

 

看護課長が語る。

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2025年に向けて、さらなる在宅医療などの推進を図っていくためには、個別に熟練した看護師のみでは足りず、医師又は歯科医師の判断を待たずに、手順書により、一定の診療の補助(例えば脱水の程度の判断と輸液による補正など)を行う看護師を養成し、確保していく必要がある。

このため、その行為を特定し、手順書によりそれを実施する場合の研修制度を創設し、その内容を標準化することにより、今後の在宅医療を支えていく看護師を計画的に要請していくことが、本制度創設の目的である。

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つまり特定看護師を増やす理由は、在宅医療の推進のためなのである。

現在看護師は全国に160万人いるといわれている。その中の10万人は決して多い数字ではないのかもしれないが、315時間の共通研修。さらにそのほかそれぞれの領域ごとに数10時間以上の研修を受けるという過酷な養成をするには、あまりに時間が短い。

それでも今後養成される新人看護師はすべからく、特定看護師を目指すことになることは間違いない。

 

本制度はすべて高齢化社会対策であり、さらに在宅医療の推進のためなのである。

どれだけ時代は焦っているのだろう。そんな焦りを感じる講習会であった。