佐藤先生の家

本日佐藤智先生のご葬儀に参列させていただいた。

しめやかに執り行われた葬儀は、佐藤先生のお人柄そのもの。決して華美なものではないが、心つながった方々が集まる静謐で凛としたもので、気品あふれる葬儀であった。

私は残念ながら、診療の都合で最後の最後に参列したので、牧師さんのお話なども伺うことはできなかった。しかし最後に喪主の心のこもったご挨拶を伺うことができた。そして会葬御礼に佐藤先生の描かれた絵葉書をいただくことができた。

その絵葉書にはこのような言葉が添えられていた。

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父・佐藤智とご親交のあったみなさま

父は仕事のほかに、絵はがき大のスケッチを水彩でよく描いていました。毎日つけていた日記にも、スケッチがよく描かれています。年を経てからは、自分の生家(東京都目白)や時々に住んだ家の模型作りを楽しんでいました。写真や思い出からイメージして、部屋の内装や、庭・車など、どんどん構想は広がり、「これは楽しい回想法なんだ。」「次は明かりも音も香りも出したいな」と話して作業をしていました。以下略。

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佐藤先生の生家であろうクリスマスツリーに囲まれた洋館の模型。

 

 

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インドで生活されたヤシの木に囲まれた南国の家のスケッチ

それらを見ながら、私は思った。

 

在宅医療を切り開かれた佐藤先生。

常々私たちに「病気は家でなおすもの。」と言っていた佐藤先生

家にこだわりぬいた佐藤先生が喜々として模型を作り、スケッチで描きたかったのは、本当は何だったのだろうか?

私たちがいま問わなければならないのは、

「家とは何なのか?」なのかもしれない。

クリニック見学

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本日午前私は短い時間だったが、医療法人焔 やまと診療所http://yamato-clinic.org/に見学に伺った。

 

医療界では、お互いの医療機関を見学しあうという風土が残っている。

これは、やや特殊なことのように思う。

お互いに開業医、ある意味では競争相手だ。その相手が訪ねてきて、いろいろノウハウを教えて欲しいというのだから、普通は断られるのが当たり前だ。

 

しかし私は今まで断られたことはない。また当院もそういう見学を断ったこともない。

 

お互いに、お互いのノウハウを提供しあって、お互いがよくなれればいい。

そういう風土を医療界が持っていることを、私は誇らしく思っている。

 

今日伺ったやまと診療所は開設して4年足らずだが、すでに板橋区の在宅医療において、大きな実績を残している。

なんといっても院長の安井先生が30台という若さを武器に、新しい大胆な試みを次々と行っている。ペーパーレスになっていること。アシスタントに様々な権限移譲をしており、業務の分担化が進んでいることなどがとても感銘を受けた。

 

以前地域医療の先達が言っていた言葉を思い出した。

 

「新しい医療機関は常に正しい。その時代のニーズが生み出しているのだから・・・」

 

訃報に際して

先日、ここで紹介させていただいた、在宅医療の先駆者、佐藤智先生が、昨日ご逝去されました。92歳。最後はご自宅で亡くなられたとのことです。

 

最近10年ほどは,ほとんどお姿を拝見する機会はありませんでしたが、以前お宅にお邪魔したり、往診同行をさせていただいたことを,今でも懐かしく思い出します。

 

ご自宅では病弱の奥様の介護をされており、決して華美とは言えない、どちらかというと質素なご自宅は、バリアフリーに工夫されていました。また先生の往診範囲は実に長距離でした。当時クリニックは水道橋にありましたが、多摩の山奥まで往診していることに感嘆しました。当時佐藤先生はすでに70歳を超えていたと思います。しかし精力的な活躍が続いており、今の日本在宅医学会の前身である「在宅医療を推進する医師の会」を立ち上げられ、若き医学生たちに往診同行の機会などを創設されておりました。

当時の会報が下記アドレスにあります。ぜひご覧ください。

http://www.zaitakuigakkai.org/pdf/z01.pdf#search=’%E5%8D%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89+%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%99%BA‘)

 

その後、日本在宅医学会、在宅医療を推進するための会など在宅医療推進する基盤整備を数々行われると同時に、厚生労働省の幹部の方々と在宅医療の診療報酬整備などにもご尽力されました。

 

「病気は家で治すもの。」

「在宅医療はinterestingでexciting」

 

常々若手の医師に言っていた佐藤先生の後姿をしのびつつ・・・心より哀悼の意を表したいと思います。

日野原重明先生の思い出

日本の在宅医療の礎を築き、のちに日本在宅医学会を創設された佐藤智先生が、常々若手の在宅医たちにいっていた言葉がある。それは、「病気は家で治すもの.」という言葉だった。私もその薫陶を受けた一人であることを今も誇りに思っている。

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私が在宅医療を始めたのは、今から20年前だった。当時は、訪問診療をする医師も少なく、今のように在宅医療専門の医療機関などもない時代だった。どちらかというと救貧的、人道支援的在宅医療が中心だった。

当時、わたしは日野原重明先生と一緒に患者さんの在宅医療を担当したことがある。聖路加国際病院の院長だった日野原先生は、すでに80歳を優に過ぎていたが、昼間の診療や夜の様々な公務を務めらえた後に、毎晩数人の患者さんの往診することが常だった。患者さんのところに行くのは、夜の9時を過ぎていることも珍しくなかった。日中の病状管理は私のほうでおこない、夜に日野原先生が顔を出して、励ますという形の併診が多かった。そういう患者さんのひとりが、ある時誤嚥性肺炎を併発して、聖路加病院に入院になった。ご高齢(といっても、日野原先生より若かったが・・・)の方で、しかも虚弱な方だった。すぐに日野原先生が入院を手配してくれて、スムーズに入院することができた。

入院して数日後、病室に見舞いに行って、患者さんを一目見た日野原先生は、主治医に「ここにこのまま置いておいたら、死んでしまう。すぐに退院して自宅に返しなさい。」といったという。

それを聞いた主治医はとてもたまげた。まだ抗生剤治療を始めたばかり、血液データも改善していない。そんな状態で自宅に返せなんて、なんて無謀なんだと仰天した。しかし院長の命令だから、従わなければならない。困り切った主治医が私に相談するために電話してきた。「うちの日野原が無体なことを言っていますが、先生どうしましょうか?」と困り果てていた。

「家でも抗生剤治療を継続できます。先生がはじめられた治療を家でも続けられますので、ご安心ください。」と私が答えると、主治医の先生は安堵したようで、さっそく患者さんは退院することとなった。

退院された後、日野原先生と私は往診を繰り返した。私が日中の抗生剤治療を行い、夜は日野原先生が往診する。入院中は、食事や水分摂取もせずに点滴だけでベットの中に横たわっていた患者さんに向かって、日野原先生が励ます。なるべく座って過ごす。少しずつ食べれるものを食べて、動くことも並行するようにと指導された。

治療も大事だが、それ以上に生活を維持することが重要だと日野原先生は言いたかったのだろう。そのかいもあって患者さんはみるみる回復していった。

高齢者医療において、いたずらに入院医療を長引かせることの弊害が叫ばれ始めたのは、つい最近のことだ。当時はまだ病院で保護的に高齢者に医療を行っていくことが主流の時代だった。当時から、医療界の先駆者として活躍されていた日野原先生だったが、実は誰よりも優れた在宅主治医だったのだ。

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まさに先人たちが実践していた在宅医療とは、「病気は家で治すもの。」だったのだ。