生きる

母一人、子一人。

幼子を抱えた母親が病気になった。

ALS・・筋萎縮性側索硬化症・・神経難病だ。

徐々に運動機能だけがむしばまれていく。手足が動かなくなり、身動きができなくなる。いつしか嚥下も、発語もできなくなる。そして最終的に呼吸も・・その間、意識は清明だし、知覚も正常。外界とのコンタクトができなくなって。最後には自分の体という牢獄に閉じ込められていくという残酷な疾患である。

死ぬこともできない。どこまでも残酷な疾患であるとわかった時、早く死なせてほしい。という人が多い中、その母親はとことこん生きる決意を下した。

「息子が一人立ちするまで何が何でも生きる。そのためには呼吸器をつけることも、胃婁をすることも辞さない。たとえ何もできなくても息子のそばに居続けよう。」と彼女は決心したという。

しかしまだ幼い息子は、そんな母親の思いをすぐには受け入れられなかった。

なぜ自分には父親がいないのか?なぜ母親は何もしてくれないのか?ほかの友達に比べてなんと自分は不幸なんだろと、楽しい思い出など一つもないといって。不登校になった時期もあった。

声も出せなく、呼吸も苦しい母親は、そんな時も息苦しさの中、息子を信じて見守っていた。

その間もその後も、何度も、ありえない急変を彼女は乗り切った。

いつしか息子は、誰よりも母親の介護をするようになる。

その生きる執念が、どこから生まれてきたのか?私にも到底理解できなかった。

しかし、窮地に追い込まれたびに彼女は復活したのだ。

その間息子も成長した。高校三年生になった時、頑張り続けた母親が突然息をひきとった。

その時息子は言った。

「僕は大丈夫だよ。お母さんから、命をもらったから、何があっても大丈夫。」と。

 

皆さんに知っておいてほしいことがある。

いかなる病気も、命を奪うことなどできないのだ。