退院

12月19日です。今朝私は退院になります。

無題

病棟の窓から、私が帰る地域が朝日に輝いていました。

大久保通りを挟んで右側が戸山2丁目、その先にクリニックや本部がある大久保2丁目、左側が新宿7丁目と大久保一丁目、狭い範囲ですが、多くの外来患者さんがいらっしゃる地域です。

この地域を支え、新宿を支え、そして東京を支える役割を何かできればと思います。

精度管理

かつて私も病院に勤務していたが、それは20年以上も前のことである。初期研修医を終えてすぐに地域に飛び出してしまった私が、病院医療に触れることができたのは、時々の外来研修やカンファレンスの場でしかない。今回患者として、外来そして入院医療を体験し、改めて病院医療の変貌ぶりに驚いた。

その一つが徹底した精度管理(安全対策)だ。

何か処置や検査を行うにあたり、名前、生年月日の呼称による本人確認は常だし、看護師さんが持っている携帯端末では、患者や点滴についているバーコードを確認しつつ、事前指示を確認できたり、点滴ミスなどが起こりえないようになっている。オペ室に入った時でも、名前、千年月日とともに自分が受けようとする手術名や麻酔方法を確認されたし、麻酔科医を始め多くのスタッフ麻酔準備をしている間、すべての行為をお互いに読み上げしつつ、齟齬やミスが生じないようにしていた。

このような安全対策、精度管理は多くの患者さんを適切に医療対応し続けるにはとても大切なことだと思った。

しかしすべての医療現場でこれほどの安全管理ができているわけではない。ましてや在宅医療の現場では、まったくといっていいほどだ。おそらく在宅医療ガンバだけではなく、安全管理や制度管理より、ヒューマンタッチやフレキシブルな対応が求められる医療現場もいまだに多いだろう。もちろんそのような現場でも安全な医療提供を心掛ける必要がある。その時に個人個人の医療者毎の制度管理が問われるのだろう。

病院や組織による安全管理・制度管理、個々の医療人の努力による安全管理・制度管理。それぞれの現場ごとの最適解があるのかもしれない。

また医療安全を重視しすぎると患者の自律性を軽視しがちになるし、患者の自律性に任せたとき、医療安全が本当に確保できるのか?という問いもある。

この辺りのバランスは非常に難しい。

 

たった3時間

おかげさまで、手術からの回復は順調だ。

手術直後は点滴、尿の管もついていたが、術後3時間で尿の管は外してもらった。(手術中は気管内挿管もされていたが、記憶にはない)だから今は点滴だけのお世話になっている。

とても順調な経過をありがたく思うが、術後3時間は、尿の管の違和感と術後の痛みのダブルパンチに苦しんだ。さらに点滴がついていることで、体を動かすことの不自由さを思い知った。

尿道に違和感がないように姿勢を変えると、今度は術後の痛みが襲ってくる。おなかを安静に保とうとすると管が引っ張られて尿道の強烈な違和感に悩まされる。しかも腕には点滴がついているので、手の動きも制限されるのだ。

長期で点滴しながら、尿の管を使用しているお年寄りを何人も知っている私が、今回の入院で最も勉強になったのは、このような管での拘束は、非常に残酷なことであるということだった。

人は何か一つの違和感には体を順応させることができるが、複数の違和感や苦痛が合わさると、どのように対処したらいいのかわからなくなるということだった。

手術

無題

麻酔から覚めたとき‥最初はとにかく眠かった。

執刀医の先生が病室にいらして下さるころには、少しはっきりしてきた。

「明日の血液の検査結果でよほどの異常がない限り、明後日退院になります。」力強い言葉だった。

術後3時間はベット上で安静、点滴だけだったが、3時間経過したら、普段着に着替え、トイレに行ったり、水を飲んだり、病棟内を歩き回ることも許された。その間、テレビ会議で法人の会議にも出席できた。

私が研修医だったころ、胆嚢摘出は回復手術が当たり前だった。当時の入院期間は2週間程度、しかもドレーンなど様々な管が付いたまま、しばらく寝たきりで、不自由な入院生活を余儀なくされたものだった。

「今日、全身麻酔の手術を受けた人には見えません。」

そんな誉め言葉がうれしかった。

20年以上病院の医療から離れているが、昔に比べ、医療は進歩し、安全で快適になってきている。