映画「ボヘミアン・ラプソディ」

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新年あけましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願い致します。東京近辺では晴天に恵まれ、穏やかなお正月でした。みなさまにはどのようなお正月でしたでしょうか。

このお正月に、遅ればせながら、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て参りました。ロックバンド「クイーン」がいかにして誕生し、世界的な名声を獲得していくか、そのバンドのヴォーカル、フレディ・マーキュリーを主人公に描いた作品で、今年のゴールデングローブ賞2部門(主演男優賞と作品賞)を受賞し、アカデミー賞候補の呼び声高い作品です。ぼくは割とロックとは縁遠い青春を送ってきたのですが、そんな人間にとってもこの映画は大変心動かされるものがありました。

新しいものを作る、その生き生きとした現場に立ち会うのは本当に感動的です。シューベルトを題材にした1930年代の映画「未完成交響楽」でも、音楽が生まれる瞬間のシーンでの、ある種の祝祭感が素晴らしかったのですが、それを思い出してしまいました。あのレコーディングでのさまざまな工夫のなんと魅惑的なこと。まったく自分もその仲間に引き込まれるようでした。

そして、最初のシーンと連続するエンディング。映画を見ているわたしたちは最初のシーンからエンディングへ至る過程を映画を通じて体験させられるわけで、あのエンディングへは否応なしにのめり込んでしまいます。何度も聴いたことがある音楽でも、適切な場所で、適切なタイミングで奏でられると、それはまったく違う文脈での響きとなって感動を喚起するのですね。そんなわけでロックにそれほど詳しくないぼくでも楽しめた映画でした。

さて、ロックにそれほど詳しくないという自分はどちらかと言うとクラシック音楽オタクであったりするので、そんなクラオタ(クラシック音楽オタク)的に気づいたことを3つばかり。

プロポーズのシーンに流れるプッチーニのオペラ「蝶々夫人」。幸せなはずのシーンに、夫が日本の現地妻を捨ててアメリカに帰り、彼女は自殺するという悲劇が流れ、なんだか、この結婚の将来が決して順風満帆とは言えないだろうという暗示を感じました。

それから「ボヘミアン・ラプソディ」という曲をシングルカットにするかどうかでもめていたシーン。あそこに流れたのはビゼーの「カルメン」からカルメンのアリア。「恋はボヘミアンの子、決して法律なんか知りやしない」と、まるでそのシーンを象徴するかのような歌詞が流れ、思わずニヤリ、と。

そして、窓ごしの電話のシーンで流れるのはプッチーニの「トゥーランドット」からのリューのアリア。王子に従順なリューが「王子様、もうリューは耐えられません、リューの心は砕けてしまいます」と歌います。オペラではそう歌いながらも最後まで従順だったリューは自殺することで王子に尽くします。その音楽を背景に、フレディが乾杯しようと言うのに、言葉だけ合わせてグラスを持たなかった彼女は生き延びることができた。「生きる」という意味の深さを音楽と映画の間の乖離によってまたひとつ感じることができるシーンでした。

いやあ、映画ってほんとに面白いですね。