高齢化で、本当に癒さなければならないのはだれか?

突如として、90代の患者さんが食事しなくなった。

食べられないわけではない。食べる気がしないだけだ。

しかし、それはもしかすると自然なことかもしれない。

 

わきあがるような食欲があるのは若いうちだけなのだ。その間は、食べすぎることもあるだろう。

いつしか食べていることが元気な指標になる。

そのうち生きる意欲や、生きる義務感の低下とともに、食欲もなくなる。

 

そういうとき周りが慌てる。

 

あるお年寄りが言っていた言葉を思い出す。

「私はあえて定食屋さんに行く。私自身は定食なんてとんでもないけど、そこで若い人ががつがつ食べている姿を見ると、生きる気力や食欲がわいてくるから・・」

 

食欲とは何だろうか?生きる意欲?渇望?生きるための義務?それさえ通り越したとき、食べるのに飽きた・・。疲れるから食べたくない。そんな気持ちになるらしい。

 

そのとき周りは、食べないなんて信じられない。病気だ。と驚く。

何とか食べさせようとする。しかしそんな対応をされたとき、さらに食欲を失う。お互いに孤独感を強めてしまうのだ。広がるのは本人の気持ちと家族のジレンマ。

 

その時、本当に癒さなければならないのは、お年寄り本人ではない。家族かもしれない。

なぜなら、彼らはその後も生きていかなければならないから・・