お鍋の季節

12月ももう半ば、街はすっかり冬。冬といえばお鍋の季節。仲間や家族、あるいは一人でも熱々のお鍋がおいしい季節です。外の寒さに対比して鍋のあったかさがよりおいしさを加えてくれるから冬のお鍋は格別なのかもしれません。であるならば、寒ければ寒いほど鍋はおいしいのではないか。
そんな仮説を実証するための大人の社会実験。そうだ、雪の中で鍋を食べに行こう。この季節で雪と言えば谷川岳(そうかな?)。早起きして土合駅を目指します。
土合駅の下り線ホーム。486段の階段を上り、地上に出るまで10分くらいかかるといわれる通称「日本一のモグラ駅」。登山は駅から始まっていると言っても過言ではありません。

日本一のモグラ駅

日本一のモグラ駅

 

確かに雪を期待してここに来たものの、明らかにやり過ぎ。行くも地獄、引くも地獄の鍋行脚が続きます。「これがホントの氷結」、ただこれをやりたいがために三脚に缶チューハイを持参したものの、思ったほど面白くなくてがっかりです。それにどう見ても鍋をやりに行くというより、遭難してると言った方があってそうです。外は吹雪、気温は零下。しんしんと降り積もる雪が足あとを消していきます。行方不明なんて言葉も浮かびます。雪が吹き込んでくるので目をあけているのも辛い…… 鍋担いで、ぼくはなにやってんだろう。そもそもの根本的な疑問すら浮かんできました。

手に持っているのはチューハイの「氷結」

手に持っているのはチューハイの「氷結」

それでも鍋をやるんだ、鍋をやるためにここに来たんだ、自分を鼓舞します。あたりを踏み固め、整地。手袋脱いだら凍えそうなのは重々承知の上で、泣く泣く外してかじかみ震える手でリュックから鍋道具を取り出します。冷たくて触るのもためらわれるほど凍てついた鍋が容赦なく手のひらから人間の暖かみを奪い去っていきます。なんとかすべての用具や鍋の具材を取り出したところでぼくの気力は底を尽きます。「天はわれを見放した……」心が振り絞る静かな慟哭の声を聞きながら撤収を決意します。

鍋道具一式

鍋道具一式

来た道を戻る後ろ姿もどこか悲しげです。

うつむきがちな姿勢がすべてを物語っています

うつむきがちな姿勢がすべてを物語っています

土合から水上へ、そして水上から朝と逆に上り電車で高崎方面へ向かいます。敗北感と挫折感がやすりがけした心はざらつき、悲しみが群馬全体を覆い尽くすようでした。そんな時、闇を払う光の一閃が脳内を貫きます。そうだ、新前橋なら利根川に近いじゃないか、利根川の河原で鍋をやればいいんじゃないか。雪こそ降ってはいませんが、そこは前橋、寒さは東京の比ではありません。寒い中鶏鍋を作ります。上州名物からっ風が吹きすさぶ中、はふはふ言いながら熱いお鍋を食べます。鶏肉が、鶏団子が泣きたくなるくらいおいしい。寒い中で食べるお鍋、おいしいと同時に、生命をつなぐ糧という感じ。ああ、やっぱり寒い中での鍋は最高でした。

坂東太郎を背景に鶏鍋

坂東太郎を背景に鶏鍋

結局寒い中でのお鍋はおいしいけれど、やり過ぎは辛いだけだというごくごく当たり前の教訓を得た休日でありました。まだまだ修行が足りません。