必死な光景

今日私は新宿区コズミックセンターで開かれた、平成27年度認知症保健医療福祉ネットワーク会議に出席した。

そこでは今後の様々な認知症施策が説明され、討議された。これからは行政、医療、福祉、介護が一体となり地域に暮らす認知症高齢者、特に独居の認知症高齢者の支援体制を構築するというのだ。医療では、基幹型、地域型認知症疾患センターを中心に、地域の認知症サポート医、認知症物忘れ相談医などが地域で、かかりつけ医などを支援するという体制となる。増え続ける認知症高齢者を支えるまさに新時代の到来を感じさせる会議だった。

しかしその会議での議論を聞きながら、私は全く違ったことを思い出していた。

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20年前、私が在宅医療を始めたばかりのとき、ここ新宿区コズミックセンターで小さい会合を毎月開いていた。在宅ケアを考える会と題して、地域の住民の人との集会だった。集まってきたのは、ごく少数。せいぜい10人程度、いろいろお話して、その後みんなで食事をした。まだ在宅医療を始めたばかりの駆け出しの医者の開いた会、そんな会に集まる人は少なかった。しかし私は初めて地域の人たちの様々な問題に触れることができた。

当時まだみんな自分の在宅介護の問題を人に話すこともためらわれる時代だったのだ。

毎回その会に出席していたある女性が勇気をもって告白したのは、しばらくたってのことだった。「じつは私の父は痴ほうで、家で介護していますが、周りにとても迷惑をかけています。」と、勇気を奮ってその女性が話す。「しばらく医療は受けていません。できたら先生に家に来てほしいと思って出席していました。一度来てもらえませんか?」という誘いに私は応じた。

初めていった女性の家では、認知症の父親を親子3人の女性が必至で介護していた。

当時は抗認知症薬もなければ、認知症という言葉もなかった。痴ほう・・と呼ばれており、そんな痴ほうの方々が、ひっそりと家で保護されていたのだ。

トイレに行きたくなるたびに、父親が暴れるという。トイレにいきたいと言えない父親は、狭い閉鎖空間であるトイレに入ることを恐れていた。

そんな父親に一生懸命バケツを家族が用意するが、バケツを見た父親が激高する。

そしてその時の大声に近所が怒っている。当時は認知症対応のデイサービスもほとんどなく、認知症は家族が抱えるしかなかったのだ。

すべてが悪循環で誰もそれを止められなかったのだ。

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時代は進んだ。

今や認知症という言葉も定着し、認知症サポーターも区内だけで13000人以上となっている。認知症高齢者の拾い上げ、初期集中支援体制などが構築されようとしている。

 

そんな夢のような時代になって、なぜ私はあの時の、壮絶な光景を懐かしむのか?

もちろんその時のような出口の見えない状況はありえない。しかしこれまでの認知症の歴史には、必死な家族の姿があったことを忘れてはならない。