リタイアメント後の生活

仕事が忙しければ、忙しいほど、いつか自分が迎えるリタイアメント後の生活のことを夢見てしまう。豊かな老後・・・自分のためだけに使うお金と時間。長年やりたかったのにできなかった趣味に興じたり、仕事や家族の用事などでなかなか会えなかった友人とのゆったりとした交流を通じて、自分の人生の意味を噛みしめることができればとも思う。

でも果たして、私にそんな時間が来るのだろうか?

大企業に勤めているならともかく、私のような個人事業主といえるような開業医には、なかなかリタイアメントは難しい。ある先輩の医師に言われた言葉を思いだす。「医者が仕事を辞められるのは、すべての患者さんを直したときか?自分より優秀な医者を育てたときだけだ。」もちろん私には前者はできないだろう。だとしたら、後者を目指すとしよう。

地域医療は、個々の医者や医療者の孤独で献身的努力によって支えられているという側面がある。そのような地域医療は、ともすれば独りよがりになるかもしれない。ともすれば発展的現場とは思えないかもしれない。そんな地域医療の現場で優秀な医師を育てることは難しい。私が在宅医療を通じて、独りよがりにならずに、少しでも発展的、系統的は地域医療を目指す理由は、そこにある。いつかこの現場を愛し、引き継いでくれる人が出てきてくれることを期待する。そのために現在のすべての努力があるといっても過言ではない。

しかしここではたと気が付く、今を豊かに生きられないのに、リタイアメント後を豊かに生きられるだろうか?果たして仕事に追われているから、豊かに生きられないのか?確かに24時間365日主治医として対応していると、まったく仕事から離れる時間はない。しかしそれでも夜になれば、電話が鳴らない日も少なくない。休日も仕事の用事がなければ、家族との時間をゆっくりとることもできる。もしかするとリタイアメントを夢見ているというよりは、仕事を言い訳に、いまを無為に過ごしているのかもしれないと。

これからの高齢化社会では、年金制度がこれまでのように手厚いわけではないことは、誰もが想定している。医療費や介護費用も今以上にかさむだろう。そんななかで、豊かな老後やリタイアメントの意味も異なってくるのかもしれない。かなりの高齢になるまで、ある程度の仕事をしながら、自分の人生も楽しむ。その割合がその時々によって異なるだけ、いつまでも現役でい続けるための努力こそが豊かな老後を迎えるための、心がけなのかもしれないのだ。