医療者のセンス

医療には、医学的客観性、厳密性が大切であり、さらには公平性や公共性などが求められる。つまり誰が見ても医学的に正当であり、同一疾患の他の患者さんにはすべて普遍的に適応できるものであるべきであるというのだ。

しかし果たしてそうだろうか?

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今日92歳の認知症の女性が、ショートステイから帰されてきた。もともと徐脈だったのだが、脈拍が40を時々切るので、ペースメーカーを入れてもらってきてくれというのだ。こういわれた家族はとても不安になる。どうしたらいいだろう?とりあえず往診して今後の方針を考えることとしたが、本人はケロッとしていて屈託がない。ほとんど寝たきりに近い状態だが、それなりに食事もとれている。むしろ本人は医療拒否が強く、診察に協力的でもない。

ショートステイの職員からは、病院だったら、ペースメーカーを挿入して脈拍を安定させるだろう。そしてそれまでは24時間心電図モニターをして、もし脈拍が下がったら、夜中でも訪室して患者さんを起こしたりして、異常がないかどうか見守るはずだ。だから在宅でも同じようにしなければいけないといわれたというのだ。

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これは医学的には正しい。しかし医療的センスはどうだろうか?と首をかしげてしまう。92歳という高齢でしかも認知症があり、自宅で過ごしている高齢者に、救急病院に入院中の患者と同様の医学的対応をしていくべきだというのだ。

私ならこう言うかもしれない。

脈拍が少なくなっているが、本人はもともと寝たきりで、活動性も高くない。だから別に徐脈になっていること自体で、苦痛はないはずである。今後もしさらに徐脈になって本人がもし苦しむようなことがあれば、それはきちんと対応すべきだが、もし苦痛がないなら、無理な医療的対応を講じるよりは静かに見守ってあげるほうが穏やかかもしれない。万一失神したり、極端にはお亡くなりになることもあるかもしれないが、その時にも本人はほとんど苦痛はないだろうし、本人は自分の変化に気が付かないぐらいだろう。第一大変ご高齢だから、ほかにも様々なリスクがある。もちろん本人の苦痛を顧みず、みなさんの介護負担も顧みずに、医学的正当性を追求する方法もあるが、自然流れに任せるという方法もあると。

本当に相手のことを考えたとき、
主観を禁じて医学的客観性、正当性を追求するのがプロなのか?
相手の事情を察して、プロとしての主観を混ぜたアドバイスをするのか?
そここそが医療者のセンスが問われているのだと思う。