アシスタントの一日(5)

DSCN0271 DSCN0269 DSCN0272 DSCN0268私たちの仕事は、訪問診療に同行して診療の補助をするだけでなく、その他にも色々な業務があります。その中の一つが患者様の送迎サービスです。その送迎サービスに威力を発揮する車両が先日ようやく納車されました。ラクティスという名の福祉車両です。

以前は、訪問診療に使用する車を併用していましたが、車椅子を利用している患者様などへは非常に不便をおかけしていました。これからはこのラクティスを使うと車椅子に乗ったまま車へ乗降できるようになり非常に便利になります。この車を使って送迎の幅をどんどん広げて、多くの方々に利用して頂けたらと思っています。曜日や時間帯によってご利用が出来ない場合もありますが、ご利用を希望される方はまずは外来受付までお問い合わせください。

万博記念公園

今の若い人たちから見ると夢物語のような話でしょうが、かつてこの国は高度経済成長と呼ばれる好景気に包み込まれた時期がありました。もちろん当時は当時なりの不幸や悲劇があったかもしれませんが、今となっては懐かしくノスタルジックに感じられる時代でもあります。そんな好景気まっただ中の1970年、大阪で開かれた万国博覧会はまさに日本の明るい未来を予見させてくれるような雰囲気もあり、日本中が熱狂的にその開催を喜び、夢中になったものです。

行った当日たまたま万博記念公園で雪まつり開催中でした

行った当日たまたま万博記念公園で雪まつり開催中でした

アメリカ館の月の石、ソ連館の宇宙船、新しいフロンティアが宇宙に向かって開いている、そんな雰囲気がありました。そして万博のシンボルであった太陽の塔。それは単にいっときの万博のシンボルにとどまらず、当時の日本全体の雰囲気をも思い出させるタイムカプセルのような働きを今も続けているような気がします。

そんな万博の跡地、万博記念公園へ先日行って参りました、アシスタントの坂本です。

その猫背がなんだか「千と千尋の神隠し」に出てきたカオナシのよう

その猫背がなんだか「千と千尋の神隠し」に出てきたカオナシのよう

万博記念公園駅でモノレールを降りるとさっそく太陽の塔がお出迎え。当時小学生だったぼくは万博に行くことができず、今回が太陽の塔との初対面。ちょっと照れてお互い無口。

実際に見てみると、ああ、これは縄文土器だなと感激しました。出産土器とも呼ばれる人面把手付深鉢土器を連想させるのです。縄文土器に大いなる関心を寄せた岡本太郎らしい造形のように思われます。

かつての鉄鋼館が万博の記念館としてオープンしています。館内はあの懐かしい雰囲気でいっぱい

かつての鉄鋼館が万博の記念館としてオープンしています。館内はあの懐かしい雰囲気でいっぱい

公園には万博の記念館であるEXPO’70パビリオンのほか、国立民族学博物館も併設されていてどちらも大変興味深い施設でありました。

世界各地の信仰、芸能など興味深い展示がてんこ盛り

世界各地の信仰、芸能など興味深い展示がてんこ盛り

三峯神社

 関東には古くから狼に対する信仰がありました。とくに江戸時代、農民には害獣除け、町人には盗難除け・火難除けとして広く信仰され、講なども盛んに組織され人気を博したものです。その中心にあったのが奥多摩の御嶽神社と秩父の三峯神社であります。

 今回はこの三峯神社の古くからある表参道を経てお参りしてみようと池袋から西武線に乗ってえっちらおっちらやって参りました。西武秩父駅または秩父鉄道三峰口駅からバスに乗ると大輪というバス停があります(秩父駅から1時間15分、三峰口駅から50分ほど)。かつてはここから三峯神社まで標高差600mほどを登る表参道がさかえていました。そんな昔の面影を辿りつつ登ってみます。

三峯神社表参道入口

三峯神社表参道入口

石畳の道をしばらく進むとやがて赤い橋が現われます。

あたりの緑に朱塗りの橋が映えます

あたりの緑に朱塗りの橋が映えます

登竜橋といい、東京近辺の人ならおなじみの荒川にかかっている橋です。このあたりまで上流に来ると川幅日本一を誇る荒川もそれほど大きな流れではありません。

講が組まれて参詣されていました

講が組まれて参詣されていました

東京の入谷講(「入谷の鬼子母神」で有名ですね)の碑とオオカミ像。ほかにも築地などの講碑などもあり、当時の人たちの信仰と遊山、その両面があらわれているようです。

気持ちが引き締まる美しい滝です

気持ちが引き締まる美しい滝です

「清浄の滝」。見ているだけで自分の中にある汚いものが浄化されていく気がしますが、ぼくから汚いものを取ると何も残らなくなりそうなので早々に退散します。でも、こうした景色に出会えるのも、大輪から表参道を歩いたからこそ。

表参道にかかる立派な門

表参道にかかる立派な門

ようやく三峯神社到着です。お参りして、なかなかおいしい手打ちそばなど食べて(秩父はお蕎麦の名産地なのです)、ここからさらに登って奥宮へ。表参道を通らずにバスで来れば簡単に来られるこの神社ですが、奥宮へは自分の足で歩いていかなければなりません。

そう簡単に奥宮へは行かせません

そう簡単に奥宮へは行かせてくれません

落ちると結構な怪我をしそうな朽ちた橋。たやすく辿りつけないところが奥宮の奥宮たるとこでしょう。一日使って登ったり降りたりのご参拝。三峯神社だけでなく、たとえば大山の阿夫利神社など、かつての人にとっての観光とはこういうものだったんだなと昔をしのべるハイキングでもありました。

銃後の守り。

アシスタント斉藤です。ご高齢の方ならタイトルの「銃後の守り」の意味はおわかりかと思います。元々は70年前の悲劇から出来た言葉ですが・・・

「最前線などで直接戦闘に関わるのではなく、前線の人々が消費する物資・資源・情報を供給し、間接的に前線を支援する人々、または考え方。」とあります。

不注意で左手首を折り、1ヵ月ほど内勤業務に甘んじておりましたが、その間に目にした事務の方々の仕事ぶりには心底、驚かされてしまいました。まず、その電話の量の多いこと!そしてまたそれをワンコールで次々と受け、処理していく素早さ!さらにはかなりの量のFAXの送受信や必要書類のコピー、宅配関係の受け取り、そして本来のそれぞれが受け持っているであろう業務がそれらに加わるのです。みんな事務所の中を行ったり来たり大忙しです。

お昼も机に向かったままコンビニの食事を簡単に済ませ、すぐまた業務に戻る方も多く見受けられました。そして私が思い浮かんだ言葉が「銃後の守り」だったのです。

今まであまり感じえなかったのですが、こういった後方支援なくしてクリニックの業務は成り立たないということを実感致しました。事務の皆さん、いつも本当にありがとうございます。これからもご迷惑を掛けぬよう努力します。この1ヵ月の内勤業務もこのような再発見があり、決して無駄ではなかったのではと思っております。