英語の学び方

大久保の外来にには非常に多数の外国人の方がいらっしゃる。外来患者さんの少なくとも半数。多い時にはほとんど外国の方ということもある。だからそろそろ外国語を学ばねばと思い始めている。

今日、夕方からは息子の英語教室を見学していた。

私は英語を普通の学校教育で習った。だから当然のことながら話せない。英語を話し、使いこなせるのは通常の学校教育だけではかなわない。特別な努力か、特別な教育、特別な環境が必要だと思っている。

しかしそうではないらしい。

この英語教室では、単語を覚えるのではなく、文章として覚えることを基本として、まず話すこと。そして直すことを基本としていた。日記を英語で書くこと。普段から英語で考えるようにすること。

英語漬けになり、そして矯正してもらうことの積み重ねに英語の習得があるという。

 

なるほど。まず下手でもいい。話してみよう。そう思うことができた。

ポートフォリオ学習の重要性

本日、日本在宅医学会の研修プログラム交流会に参加した。

各地で在宅医療専門医を目指す研修医たちの発表と、それぞれの研修プログラムの交流の場だが、ずいぶん在宅医療も変わったものだと、時代の変遷を感じる。

 

私が始めたとき在宅医療はそれぞれが手探り状態、実践や試行錯誤の場でしかなかった。

いつしか在宅医療を実践する医師も増え、学会が成立し、さらに発展し、体系化がすすんだ。今や数々の研修プログラムによる学習や研修の場も整備されるようになり、在宅医療も手探りから教育に変わりつつある。

 

しかし、在宅医学教育は単なる机上教育や実践の積み重ねでは済まないはずだ。

むしろ現場から何を学び、その学びを次の現場にできたかどうかが大事だ。

症例や事例をまとめ、文献や他の事例などによる裏付けなどを参考にしながら、自ら何を学び感じたのか、そして将来の課題に結び付けることが重要と言われる。

だから日本在宅医学会で重要視されているのが、ポートフォリオ学習だ。

いくつかのテーマを決めて、事例からの学びをポートフォリオとしてまとまる。

ポートフォリオとは、振り返りの集約である。

 

医療を実践するに、医学的知識や技術の裏付けは大変重要だ。しかし知識や技術的側面だけでは患者が求める医療を実践できない。その穴を埋めるのが振り返りだ、実践の振り返り(反省)こそ学びの場だ。そして次の現場にどのように医学的知識や技術を適応していくべきかを考えていく姿勢こそが必要なのだ。

 

そのためには、まずなりたい医師像を明確にすること。次にそのために必要な知識や技量を身につけること。そしてそれらを使用しながら現場に適応した時に、さらに学び、修正し続けることが何より重要だ。

 

このような習慣づけがされるためには、どうしたらいいのだろうか?

専門医をとるためのポートフォリオから、発展的に診療を行い続けるためのポートフォリオ作りとは何だろうか?

美しさやまとまりではなく、どれだけ学んだか?そういうポートフォリオこそ私は正しいと思う。

高齢者のワクチン接種

冬のインフルエンザ予防接種の時期を迎えて、小児から高齢者まで多くの方々がワクチン接種に来院している。小児は非常に厳密なワクチン接種スケジュールが守られているが、まだまだ高齢者の方で、ワクチン接種計画をきちんと立てている人は少ないように思う。

 

では、高齢者に勧められるワクチン接種スケジュールとはどういうスケジュールだろう。

まず有名なところでは、肺炎球菌ワクチンとインフルエンザワクチンだろう。インフルエンザワクチンは毎年10月から11月ごろの接種が好ましい。また肺炎球菌ワクチンは5年ごと、例えば、60歳、65歳、70歳、75歳、80歳、85歳・・・と覚えやすい5歳刻みで接種していくことが望ましいので、実際にこれらのスケジュールで公費助成が行われている。

 

このほかに、高齢者にお勧めしたいのは、水痘ワクチンだ。帯状疱疹に対する免疫力を高めておくことが重要だからだ、これはおそらく一生一回での生涯免疫が期待されるものだが、昨今水痘自体の流行が少ないので、実際に免疫効果が減弱しているからだ。

50~60歳ぐらいになれば一度、接種をしておくことがすすめられる。

 

だから今後高齢者のワクチンスケジュールを立てるとすると、50代のうちに水痘ワクチン、60歳になれば5歳刻みでの肺炎球菌ワクチン、そして毎年11月前後にインフルエンザワクチン接種をすることが望ましいのではないだろうか。

中医協では、

来年度の診療報酬改定に向かっての議論が白熱しているという。

月二回の訪問診療を算定基準とした在宅時医学総合管理料。それを月一回でも算定可能にしようとする議論や、在宅患者のそれぞれの重症度に応じた評価を検討したり、同一建物に居住する高齢者の在宅診療の評価を見直ししたり、外来での地域包括診療料の算定の在り方が議論されているようだ。

 

これらの議論が目指す、高齢者地域医療の在り方とは何だろうか?

 

在宅だけを集中的に評価するとか、看取りだけを集中的に評価するという、重点評価医療政策からの脱却。つまり、個々の高齢者ごとの、多様な生活、多様な疾病や障害状況に応じた適切な医療的支えを評価したいというのではないだろうか?

 

外来という枠にとらわれるでもなく、在宅という枠にとらわれるのでもなく、外来には外来なりに望まれる高齢者の支えがあるし、在宅には在宅なりの望まれる適切な支えがある。集合住宅には集合住宅なりの支えがある。それらを細かく適切に評価したいという底流があることを感じているのは私だけだろうか?

 

たとえ、結果がそれぞれ短期的には私たちにとって利にかなったものではないとしても、そういう気持ちでの議論が進むことを私は期待している。