ベトナムの医療状況

今回のツアーでは、特に医療施設の見学を予定していなかった。

しかし、たまたま知り合った人にお願いして、いくつかクリニックや病院、そしてベトナム伝統医学博物館を見学させてもらった。

 

 

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Lotus Clinicは、日本人専用のクリニックだ。すべてのスタッフが日本語対応可能だ。千葉の病院が母体となっており、2年交代程度で日本からの医師などが赴任しているという。ベトナム人の患者さんは非常に少ないようだが、少しだが富裕層の利用があるという。大久保の事情などを話すと、対応してくれた日本人コーディネーターが、まだまだベトナムは貧しいから今後も日本に行こうとするベトナム人は増え続けるだろうと話されていた。

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ベトナム人が利用する病院も覗くことができた。知り合いのベトナム人にとっては、この病院はとても高価だと言っていたが、入り口の前から患者でごった返していた。

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内科のブースだけでも5診、そのほかレントゲンや採血、点滴などを1階のワンフロアで対応していた。そのほかにも外科や病棟などが配置されているという。

ベトナムには健康保険が整備されているというが、まだまだ日本のような国民皆保険・ドの医療機関でも保険が使えるという形にはなっていないらしい。

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ベトナム伝統医学博物館には圧倒された。2007年に創設された博物館というが内容は非常に充実している。漢方薬や様々な民間療法の資料が所狭しと配置されていた。

 

私のベトナム、ネパール両国の滞在を通じて感じたこと。それは非常に日本の医療が恵まれているということだ。両国ともに医療は非常に高価であり、簡単にアクセスできる状況でもなく、さらに内容も決して高度とは言えないと思えることだ.

価格、アクセス、内容ともに日本の医療は、素晴らしい。と思えたのは、身びいきなのだろうか?

メコンデルタ

 

 

初めての外国では、どうしても首都など大都市に滞在することが多い。

しかし、大都市では見えない世界がある。

ハノイがベトナムの政治の中心。ホーチミン市はベトナムの経済の中心。しかしその周辺はどうなっているのだろう。本当の人々の生活は?

 

 

少しでも、その国を知ろうとすると、郊外に出たくなる。

郊外には、よそ向きではない人々の暮らしがあるからだ。

 

冒険と言えるほどではないが、彼らの日常こそが、今の私たちにとっての非日常なのだ。

 

 

ツアーデスクでお願いした今日一日のツアーはメコンデルタ観光だった。

 

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メコン川は国際河川である。ラオス · カンボジア · ベトナム · タイ王国 · 中華人民共和国、五か国にその流域を広げる。

 

陸路以上に発達した水路。そして他国の水利に左右される。

 

漁船、商船、観光船などがひっきりなしに往来する。

 

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さながら観光地と化した、メコンデルタだったが、その周辺の町には、素顔のベトナムが広がっていた。IMG_0680

ベトナム紀行

私は、日曜日からベトナムに来ている。

現在、東京に在留している外国人は、1位中国(台湾などを含む)、2位韓国、3位フィリピン、4位ベトナム、5位ネパールの順番だ。このうち上位3か国はほとんど増加していないが、ベトナムとネパールの在留外国人が急激に増加している。遅かれ早かれこれらの順位も大きく異なってくると思われるのだ。

直近の8年だけをとってもベトナム人は約10倍、ネパール人も約5倍に増加しているのだ。そしてその多くが、新宿区とその隣の豊島区に居住している。当然のことながら、当院の外来にもそれらの国の方々がいらっしゃる。だからそれらの国がどのような事情なのか知っておきたい。そしてそれぞれの国情に合わせた対応も少しずつできるようになればという思いがある。

 

ネパールでは、日本の大正期や昭和初期のような状況を垣間見る思いだった。疾病構造も生活習慣病や高齢疾患などよりも、若年者や乳幼児の感染症や急性疾患対応が課題のように思えた。

しかし一方、今回訪れたベトナム(私が訪れたのはホーチミン市)は、さながら高度成長前の日本のような雰囲気で、物価的には日本の1/3程度、街には小さい商店がひしめていて、道路は車やバイクで混雑しており、客引きなどの多さには、圧倒されるが、町全体の活気は大変なものであり、そのほか電気、舗装道路、高速道路などの生活インフラも整っており、さらに今後は地下鉄などが整備される予定であり、街全体が急激に発展しているように思えた。

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日本も第二次大戦後に急激に発展したが、ベトナム戦争という大きな傷跡からの復興を考えると、たった40年程度だが、今後さらに発展していくことが想像に難くない。

 

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ネパールからの友人

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10月にネパールに行ったときに知り合ったDrShujunさんとその友人の竹内さんが東京に来てくれた。

 

ネパールでの邂逅は、ごく短時間で、挨拶程度だったので、それぞれの事情やバックグラウンドがわかるほどではなかった。

 

DrShujunさんと竹内さんはお互い北京大学の学生時代の友人で、今でもネパールで交流を持っているという。今回は竹内さんの帰国に合わせて、DrShujunさんが来日した。せっかくお二人が日本にいるのなら、ぜひ東京で、お目にかかりたいという私の招きに応じてくれる形で、2か月ぶりの邂逅となった。

 

かつてネパールでは、結核患者は少なかった。しかし最近急激に罹患が増えているというのだ。ネパールは今、昭和初期の日本のように急激な地価の上昇や金利の上昇などが続いており、ある程度の資金を持っている場合、その運用だけで、かなりの収益を上げることができる。その元本資金をネパール国内で稼ぐことは困難だから、海外である程度の期間を働き、その資金を確保したがる若者が多いという。だから今は日本に来るネパール人が増加しているというのだ。

 

かつては、日本のネパール国内での国際協力も盛んだったという。しかし今や日本からの国際協力も規模が小さくなっている。いま日本の景気がある程度回復しているから、日本に来るネパール人が増えているという側面も大きいらしい。

 

今後もネパールからの在日外国人が増えるかどうかはまだまだ流動的と言わざるを得ない。

日本の経済状況、政治状況などに大きく左右されるだろう。

 

しかし、私のたった2日間のネパール滞在での知り合いと2か月後東京で邂逅でき、お互いの国情や医療状況を語り合える時代。

 

それだけ人事交流も情報交流も自由な時代。

いつかアジアは一つ、病気も一つ、いつか地域医療も一つとなる時代が来ないとも限らないではないか。

 

そんなことを感じる年末のひと時だった。