本日佐藤智先生のご葬儀に参列させていただいた。
しめやかに執り行われた葬儀は、佐藤先生のお人柄そのもの。決して華美なものではないが、心つながった方々が集まる静謐で凛としたもので、気品あふれる葬儀であった。
私は残念ながら、診療の都合で最後の最後に参列したので、牧師さんのお話なども伺うことはできなかった。しかし最後に喪主の心のこもったご挨拶を伺うことができた。そして会葬御礼に佐藤先生の描かれた絵葉書をいただくことができた。
その絵葉書にはこのような言葉が添えられていた。
::::::::::::::
父・佐藤智とご親交のあったみなさま
父は仕事のほかに、絵はがき大のスケッチを水彩でよく描いていました。毎日つけていた日記にも、スケッチがよく描かれています。年を経てからは、自分の生家(東京都目白)や時々に住んだ家の模型作りを楽しんでいました。写真や思い出からイメージして、部屋の内装や、庭・車など、どんどん構想は広がり、「これは楽しい回想法なんだ。」「次は明かりも音も香りも出したいな」と話して作業をしていました。以下略。
::::::::::::::
佐藤先生の生家であろうクリスマスツリーに囲まれた洋館の模型。
インドで生活されたヤシの木に囲まれた南国の家のスケッチ
それらを見ながら、私は思った。
在宅医療を切り開かれた佐藤先生。
常々私たちに「病気は家でなおすもの。」と言っていた佐藤先生
家にこだわりぬいた佐藤先生が喜々として模型を作り、スケッチで描きたかったのは、本当は何だったのだろうか?
私たちがいま問わなければならないのは、
「家とは何なのか?」なのかもしれない。