医療経営

長年地域医療機関を運営して来て、しかも自分一人や少数の医療機関ではなく多数のスタッフが集う医療機関を運営して来て、思うことがある。

今の時代、医療経営はまさに「綱渡り」であるということである。

一本の綱を渡り切るのも難しいが、その一本を渡り切るとまた違う綱を渡らなければならい。そして綱を乗り継ぎながら、時代変化という坂道を登っていくようなものなのだ。

一歩踏み外せば、奈落の底に落ちるだろう。

それぞれの綱にはそれぞれの厳しさがある。

医療トラブルから医療訴訟へと進展することもあるだろう。

保険者から目をつけられて、保険医療が立ちいかなくなることもあるだろう。

経営的に破たんして、にっちもさっちもいかなくなることもあるだろう。

そのほか、常時スタッフが集まらない、患者さんが集まらない。資金がショートする。など実にいろいろな心配が加わる。

 

高齢化の進展に合わせて急激に診療報酬体系や社会背景も変化しつつある。

だから一つの現場に適合できても、永住することは許されない。

次々と新しい現場へ適合していかないといけないのだ。

 

営業形態を限定し、スタッフも少なければ、ある程度気が楽だが。

複数のスタッフを雇用して、場を広げたとき、重量挙げのバーベルのような重荷を背負って綱渡りをするようなものなのだ。

 

今日若手の医療経営者と話をしていて、とても感心したことがある。

 

私が、何十年もかけて会得したこれらのことを、いともたやすく会得しており、しかもすでに解決策を持っているのだ。

 

だから余計な規模化はせずに、資産価値を高めることに集中して、資産価値が最も高い時に効率よく手放すべきというのだ。

そして次の医療機関づくりに行くというのだ。

まことにもって正しい。

 

しかしなぜか重荷を下ろせないでいる自分がいる。

むしろ新たな重荷を背負おうとする自分がいる。

 

そういうのをサガと呼ぶのだろう。

むしろ多くのスタッフがいてくれること。それこそが私の励みになっているのだ。

ルネッサンス

ウィキペディアによると、「ルネサンス: Renaissance[† 1][† 2])は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀イタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 – 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。」とのことである。

 

私は、在宅医療はまさにルネッサンスだと思っている。

 

在宅医療で有用性を感じられている皮下輸液は、昭和の50年代前に一時は普及した点滴だったが、その後穿刺針の発達によって、静脈確保が容易になりすたれた点滴だ。

しかし有用性はあった。

確かに静脈点滴のような即効性は期待できないが、そのかわりいきなり循環動態を変化させない強みがある。つまり厳密に輸液量を管理しなくとも、肺水腫や全身のむくみを作りづらいという利点がある。さらに逆血や閉塞の問題もない。

在宅や介護の現場では数々の利点がある。

 

また昨日ペリアクチンの在宅現場での有用性について、先人に伺うことができた。

昨今はあまり使われなくなったペリアクチン。一時は抗ヒスタミン薬として多用されたが、副作用が強いためにすたれつつある薬。しかし副作用の有用性に着目すると、在宅での使用可能性が伸びる。その副作用とは食欲増進作用だ。食欲が出なくて困っている高齢者に夜一錠服用してもらうことにより劇的な効果があるというのだ。

 

このようにすでにすたれてしまった治療法や薬を復権して、再利用する。

そんなルネッサンスも、在宅医療の一面かもしれない。

発信する在宅医療

今日私は、都市部の在宅医療を考えるシンポジウムに出席した。

 

副題としてリサーチマインドを持った総合診療委の養成というタイトルにもひかれたのだった。

 

20年前に在宅医療を始めたとき、「在宅は医療ではないんだ。マインドなんだよ。」と言っていた医師会の先輩の医師の言葉を思い出す。

当時在宅医療専門と言って、在宅医療にも専門性、医療的完成度が求められると言っていた私はよく揶揄されたものだった。

 

いつしか在宅医療をする医師も増え、医療機関も増えてきた。

 

いつしか点から、面へ。そして地域ぐるみの包括ケアシステムの中に在宅医療は位置づけられるようになってきた。

 

そして面の先に、発信性がある。そういう意味で今回のシンポジウムは画期的なものだ。

 

壇上には日本の高齢者医療、在宅医療をリードする大家が並ぶ。

 

それぞれの立場で今後の在宅医療の在り方を語られた。

 

さて、今後在宅医療におけるリサーチとは何があるのだろうか?

在宅医療が、日本の医学会にどんなメッセージを広げなければならないかという課題もある。

 

高齢者の代弁者として、在宅療養者の代弁者になれるかどうかがカギである。

長期療養医学、終末期療養医学、生活医学など様々な在宅医療からの発信が求められる時代と思われる次第である。1447572568669

灯台

私たちは何のために努力しているのだろうか?

 

これまで私たちは、ガン、非ガンに限らず、ターミナル期の生活支援をしてきた。

そして生活支援を仕切った証としての、在宅での看取りにこだわってきた。

 

そして今、私たちはガン、非ガンに限らず早期から支援する必要性を強く感じている。

行き当たりばったりの療養の結果ではなく、早期からの生活対応や療養支援があってこそ、尊厳を持った療養があり、生命予後が改善できることを知っているからだ。

 

外来に元気に通院できている間は、疾病管理や増悪予防が大事だろう。

そしてそのためには、単に治療的対応では済まない。多職種による集学的支援が大切だ。

もし虚弱化が進み、外来に来れなくなったら、できれば外来、必要時に往診、そして常時24時間電話での療養相談が必要だと思っている。

 

しかし生活支援はそこにとどまらない。

小児には小児なりの生活支援があり、女性には女性の、男性には男性の、成人には成人の生活支援があるはずだ。

 

 

もちろん何でもかんでも介入すべきだとは思っていない。しかしよりよく生活することで、人生をエンジョイしたいと思っている人が何も頼れないのは寂しい。

 

 

様々な年齢層、様々な疾病、様々な病状ごとに、多職種で生活支援をしていくこと。・・・・これこそが私たちの目指す、かかりつけ医療である。

 

そして、これこそが今後の慢性期疾患の時代の基本的視点であると、私たちは信じたい。

 

さながら漆黒の海を照らし、船を安全な航海に導く灯台のように