訃報に際して

先日、ここで紹介させていただいた、在宅医療の先駆者、佐藤智先生が、昨日ご逝去されました。92歳。最後はご自宅で亡くなられたとのことです。

 

最近10年ほどは,ほとんどお姿を拝見する機会はありませんでしたが、以前お宅にお邪魔したり、往診同行をさせていただいたことを,今でも懐かしく思い出します。

 

ご自宅では病弱の奥様の介護をされており、決して華美とは言えない、どちらかというと質素なご自宅は、バリアフリーに工夫されていました。また先生の往診範囲は実に長距離でした。当時クリニックは水道橋にありましたが、多摩の山奥まで往診していることに感嘆しました。当時佐藤先生はすでに70歳を超えていたと思います。しかし精力的な活躍が続いており、今の日本在宅医学会の前身である「在宅医療を推進する医師の会」を立ち上げられ、若き医学生たちに往診同行の機会などを創設されておりました。

当時の会報が下記アドレスにあります。ぜひご覧ください。

http://www.zaitakuigakkai.org/pdf/z01.pdf#search=’%E5%8D%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89+%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%99%BA‘)

 

その後、日本在宅医学会、在宅医療を推進するための会など在宅医療推進する基盤整備を数々行われると同時に、厚生労働省の幹部の方々と在宅医療の診療報酬整備などにもご尽力されました。

 

「病気は家で治すもの。」

「在宅医療はinterestingでexciting」

 

常々若手の医師に言っていた佐藤先生の後姿をしのびつつ・・・心より哀悼の意を表したいと思います。

日野原重明先生の思い出

日本の在宅医療の礎を築き、のちに日本在宅医学会を創設された佐藤智先生が、常々若手の在宅医たちにいっていた言葉がある。それは、「病気は家で治すもの.」という言葉だった。私もその薫陶を受けた一人であることを今も誇りに思っている。

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私が在宅医療を始めたのは、今から20年前だった。当時は、訪問診療をする医師も少なく、今のように在宅医療専門の医療機関などもない時代だった。どちらかというと救貧的、人道支援的在宅医療が中心だった。

当時、わたしは日野原重明先生と一緒に患者さんの在宅医療を担当したことがある。聖路加国際病院の院長だった日野原先生は、すでに80歳を優に過ぎていたが、昼間の診療や夜の様々な公務を務めらえた後に、毎晩数人の患者さんの往診することが常だった。患者さんのところに行くのは、夜の9時を過ぎていることも珍しくなかった。日中の病状管理は私のほうでおこない、夜に日野原先生が顔を出して、励ますという形の併診が多かった。そういう患者さんのひとりが、ある時誤嚥性肺炎を併発して、聖路加病院に入院になった。ご高齢(といっても、日野原先生より若かったが・・・)の方で、しかも虚弱な方だった。すぐに日野原先生が入院を手配してくれて、スムーズに入院することができた。

入院して数日後、病室に見舞いに行って、患者さんを一目見た日野原先生は、主治医に「ここにこのまま置いておいたら、死んでしまう。すぐに退院して自宅に返しなさい。」といったという。

それを聞いた主治医はとてもたまげた。まだ抗生剤治療を始めたばかり、血液データも改善していない。そんな状態で自宅に返せなんて、なんて無謀なんだと仰天した。しかし院長の命令だから、従わなければならない。困り切った主治医が私に相談するために電話してきた。「うちの日野原が無体なことを言っていますが、先生どうしましょうか?」と困り果てていた。

「家でも抗生剤治療を継続できます。先生がはじめられた治療を家でも続けられますので、ご安心ください。」と私が答えると、主治医の先生は安堵したようで、さっそく患者さんは退院することとなった。

退院された後、日野原先生と私は往診を繰り返した。私が日中の抗生剤治療を行い、夜は日野原先生が往診する。入院中は、食事や水分摂取もせずに点滴だけでベットの中に横たわっていた患者さんに向かって、日野原先生が励ます。なるべく座って過ごす。少しずつ食べれるものを食べて、動くことも並行するようにと指導された。

治療も大事だが、それ以上に生活を維持することが重要だと日野原先生は言いたかったのだろう。そのかいもあって患者さんはみるみる回復していった。

高齢者医療において、いたずらに入院医療を長引かせることの弊害が叫ばれ始めたのは、つい最近のことだ。当時はまだ病院で保護的に高齢者に医療を行っていくことが主流の時代だった。当時から、医療界の先駆者として活躍されていた日野原先生だったが、実は誰よりも優れた在宅主治医だったのだ。

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まさに先人たちが実践していた在宅医療とは、「病気は家で治すもの。」だったのだ。

 

がんと就労

1478325626648がんサバイバーという言葉がある。

 

がんを持ちながらも、生活している人。がんを治癒後の生活を生きている人。様々ながんサバイバーがいるが、がん闘病をきっかけに人生は大きく変容するという。

身体的変容はもとより、社会的、家庭的変容、人生的変容が余儀なくされるのだ。

 

今日私はがんサバイバーシップシンポジウム「がんと就労」に出席した。

 

その目的の一つは医療者としてがん患者さんの支援をどうしたらいいのかを学ぶため。

もう一つは、中小企業の事業体管理者として、がんを患うスタッフの支援をどうしたらいいのかを学ぶためだった。

 

まだまだがん患者さんを取り巻く、社会的支援体制整備が進んでいるとはいいがたい。

このような勉強会も決して多くはないのが実情だ。

しかし、本日のシンポジウムでは、実に様々な取り組みの紹介狩り、非常に勉強になった。

今まで、積極的に考えたことがないテーマだったことが、恥ずかしい。

 

職場管理者としては、

がんの予防から、早期発見のための職場づくり。

がん治療の間や治療後の生活の配慮。

の重要性。

医師としては、

がん患者さんの生活や職場への配慮。

が重要。

職場の管理者として、がん医療に携わる医師として、基本的なスタンスを教わる勉強会だった。

時代の闇をどう照らすか?

昨晩当院では、東京在宅医療クリニックの会が開かれた。

不定期な開催だが、えびす英(ヒデ)クリニックの松尾先生が中心になり、35回も開かれてきた会である。

昨晩も20医療機関の院長先生たちが集まった。

皆実績のある医療機関だが、今時代は急速に動いている。その中で、それぞれの医療機関がそれぞれの現場を支えようと必死に努力していることがうかがえた。

もちろん孤軍奮闘しているだけではなく、仲間内で支えあったり、慰めあったりしているし、他の先駆的事例を学ぶことも重要だ。

時代が進むとき、そこには隙間が暗闇のように生じる。

大きく全体を照らす明かりもあれば、スポットライトのように一部分に焦点を当てようとする明かりもある。間接照明のように、あえてぼんやりと浮きだたせる明かりもある。

それぞれの明かりはどれも、必要な明かりだ。

自分だけでは照らせない時代の闇を、照らしてくれる明かりがほかにたくさんあることをありがたく思えた。

そんな夜だった。