motivation

こんにちは。

とある理学療法士です。

皆様、新年度、新学期を迎えている月でしょうか?

新しい仕事や新しい勉強への取り組み、新プロジェクトなどあると思います。

色んな事への取り組みにはモチベーションが大事ですよね!?

そこで今回もとある記事を紹介→http://www.pnas.org/content/111/30/10990.abstract

・・・好きなことを突きつめよう!

リハビリ小噺 ④

訪問リハビリの現場では日々、様々な会話が繰り広げられています。
少しだけご紹介させていただきます。

 

お相撲好きな方多いですよね。

 

先場所は新横綱、稀勢の里が二場所連続、横綱としては初優勝を果たしました。
場所中のけがを押しての強行出場。千秋楽、優勝決定戦は劇的な勝利でした。

 

横綱という立場。
けがでも簡単には休めない一方で、
調子が上がらず、負けが込むような時は
その名を汚さぬよう、早めに休場の選択をすることもあるようです。

 

困るのはこんな時。
休場するならそれなりの理由をつけなければなりません。
たいてい整形外科の重傷そうな診断名がつけられます。

 

元力士という経歴をお持ちのDさん。
ある日、訪問時間がちょうど大相撲中継の時間と重なりました。

 

アナウンサー「横綱鶴竜が頸斜角筋損傷(けいしゃかくきんそんしょう)、左肩鎖関節脱臼(ひだりけんさかんせつだっきゅう)のため、今日から休場です。」

「なんか随分おおげさな診断名がつきましたね。」

Dさん「そりゃ、そうだろ。『深爪』のため休場なんて言えねぇからなぁ、ふんっ!」

納得度★★★★★

リハビリ小噺 ③

訪問リハビリの現場では日々、様々な会話が繰り広げられています。
少しだけご紹介させていただきます。

 

今日は初めてのプレミアムフライデーです。

 

プレミアムフライデーとは
政府および経団連を中心とした経済界が提唱、推進する、毎月末金曜日に普段よりも豊かな生活を推奨する個人消費喚起キャンペーン。
午後3時に仕事を終えることを奨励する働き方改革とも連携し、給与支給日直後に該当しやすい月末金曜日には、夕方を買い物や旅行などに充てることを推奨している。(出典:Wikipedia)

だそうです。
午後3時終業…、買い物…、旅行…、私にはあまり縁がないキャンペーンかと思われます。

リハビリで訪問させていただく利用者さんらは「高度経済成長期」「モーレツ時代」「バブル景気」などを生き抜かれた方々。
たくさん働いて、たくさん遊んだ経験をお持ちの方も多くいらっしゃいます。
カラオケ、ゴルフ、麻雀、パチンコそしてお酒…。
Cさんもそんなお一人です。

 

Cさんの奥様「プレミアムフライデーだそうですけど、どうされるんですか?」
「僕らの仕事は全然関係ない感じですね。」
Cさん「プレミアム?なにそれ?」
「金曜日は仕事を早上がりして飲みに行ったり、遊びなさいって、国が勧めてるんですって。国がですよ。」
Cさんの奥様「お父さんなんか誰に頼まれなくても、毎日毎日遊びに行ってましたよね。」
Cさん「そうね。プレミアムエブリデイだよな。ハッハッハ。」

 
ややうらやまし(★★★★☆星4つ)

寒中お見舞い申し上げます

蝋梅

 

 

 

 

 

 

早いもので、1月ももう半分が過ぎてしまいました。

 

この週末は新宿もかなり冷え込み、今朝はクリニック近辺でも霜柱が立ってましたよ!!

霜柱

 

 

 

 

 

 

 

 

寒さにも負けず、今年も皆様の元へ少しでも元気をお届けできればと思います。

よろしくお願い致します。

 

 

ところで、皆さまは『この世界の片隅に』という映画、ご存知でしょうか?

この世界の片隅に

 

 

 

 

 

 

戦時中、広島の呉に19歳で嫁いだある女性の日々を丹念に描いたアニメーション映画なのですが、去年の11月から公開となっていましたが、徐々に人気が出て今年に入っても新たに上映する映画館が増えているそうです。

 

リハビリ中に、80代後半~90代の患者さんからは良く戦時中のお話を伺ったりしていたのですが、この映画の中にも患者さんのお話を想起させる場面が多々出て来て、断片的に知っていたつもりだった“戦時下の生活”というものがとてもリアルに迫って来ました。

 

配給がどんどん減らされ、とにかく空腹だった事しか覚えていないと言う方。

少し離れたところから東京に降り注ぐ焼夷弾を見ていて、「不謹慎だけど花火みたいで綺麗だなぁと思った」という方。

女学校時代は殆ど戦争で、ろくに授業も受けられず工場で働かされていたという方。

憲兵に怯えながら大人に混じって闇米を買いに行かされたという方。

疎開先の山あいの町で、乳飲み子を背負いながら配給を貰うために山道を上り下りしていたという方。

自分が入るはずだった防空壕に爆弾が落ち、数分の差で命拾いしたという方。

焼野原の東京を、死体を踏み越えながらやっとの思いで逃げ延びたという方…

その方は「感情なんて無くさないと生きていられなかったのよ」と仰っていたのが印象的でした。

(中には、戦時中の話かと思いきや、関東大震災の話だったという97歳の方も…)

 

「戦争なんて思い出したくもない」と仰る方もいらっしゃいますが、同年代の方達が次々といなくなっている現状を考えると、皆さん“私が語り継いでおかなければ”と思われるようで、ご家族すら聞いたことが無かったような話を私に聞かせて下さる方もいらっしゃいました。

幸い私たちは”戦争を知らない世代”として平穏な生活を送れていますが、その礎となったのは、今ニコニコと座っておられるおじいちゃん、おばあちゃんたちが若い頃、時に歯を食いしばり、時には笑って励まし合いながら悲惨な状況をくぐり抜けてきてくれたお蔭なのだなぁと、この映画を観てしみじみ思いました。

(苦しい事ばっかりじゃなく、笑える事もあったんだと知れたことが良かったです)

皆さんも周囲に体験者がいらっしゃればぜひお話を伺ってみて、当時に思いを馳せてみて下さい。

きっとお年寄りを見る目が変わると思いますよ(^-^)

 

【お】