旅の序章

昨年10月のネパール行以来、12月のベトナムと隔月の一人海外旅行が続いている。英語もろくにできないのに、1人で海外旅行とはやや背伸びしている感も否めないが、普段の自分とは違う自分、普段の価値観とは違う価値観、普段の世界とは違う世界に身をゆだねながら、非日常を楽しんでもいる。日本からネパールへの直行便はない。中国などいずれかの地を経由してネパールに行かなければならないが、私は利便性からバンコク経由でのネパール行を選んだ。

 

タイの国際空港であるスワンナプーム空港のハブ空港ぶりには目を見はる。

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もともとタイは植民地になったこともなく、第二次世界大戦前後の民間航空の発達期を通じて、バンコクは地理的に他の東南アジア各国に乗り入れやすい上、ヨーロッパオーストラリアを結ぶ「カンガルールート」の中継地点にあり、さらにタイが植民地下に置かれたこともない上、第二次世界大戦前後も大規模な内戦や内乱がなく政治的に安定していたため、シンガポールシンガポール・チャンギ国際空港香港啓徳空港と並び、東南アジアのハブ空港として発達したというのだ。(ウィキペディアの文章を一部改変)

 

 

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まさにここは国際社会である。いずれから人が集まり、いずれかに飛んでいく。トランジットは長いが、こんなとりとめもない非日常も味わい深く感じる。

そしてここを離れると、さらに異国への入り口が広がっているのだ。

父親の療養

最近私の周りでは、両親の介護の問題を抱えている人が増えている。自分が50代後半になり、親が80~90代になりつつあり、まさに介護は他人ごとではなくなってきているのだ。普段かかりつけ医として介護の相談に応じたり、実際の在宅療養の医療的支援をしているが、家族の立場になってみると勝手が違うことが多い。

 

かくいう私の父親も要介護3、実家での一人暮らしをしている。

1日3回の介護サービス、訪問診療を利用しているが、これまでは手すりを使った伝い歩き可能で、比較的安定した療養生活を営んでこられた。

しかし低温が持続する東京で、暖房嫌いの父親は、寒い部屋の中で体が硬直して転倒を繰り返したり、嚥下が不良になり、脱水や肺炎の危険性が高まってきている。ヘルパーさんが緊急コールで対応してくれ、主治医が頻回に見守ってくれたおかげで何とか、父親は体調を取り戻しつつある。

 

今週末私は、1か月ぶりに自宅に訪問して、父親の変化を見舞った。久しぶりに見た父親は椅子に座りっぱなしになっており、近くのポータブルトイレにもいけない様子だ。食欲は良好で、がつがつ食事をするが、そのあとで強烈にむせこんでいる。正月に会ったときに比べて急激に生活機能が悪化していた。

 

どうしたらいいだろう。家族皆で頭をひねりながら、移動距離を少なくするために配置換えをし、嚥下ができそうなゼリーを大量に購入したり、ケアマネさんに介護サービスの増回や要介護度変更のお願いをした。いつもかかりつけ医として、私は患者さんにしている対応だが、家族の立場でするのとは大きく異なる。

 

父親は家での療養を希望している。しかし父親は独居生活者でもある。徐々に低下する父親の状況に応じた介護や生活支援サービスを保険、自費で、効率的に、しかも即時的に組み合わせていく必要がある。その間のサービスの隙間や必要な物品購入などは家族がささえることも必要だ。

 

今後は介護保険のサービスを利用しながら、それで足りないところは、ある程度の自費サービス導入も必要かもしれない。独居と言えども、いや独居だからこそ皆が力を合わせれば、何とかなるのではないだろうか?

独居を支える家族のありかたは、どういうことなのか、今後私たちの模索は続くようだ。